91年の岩手大会は、7月17日に予定されていた開会式が雨で順延になり、翌18日も朝から雨がぱらつく悪天候だった。

 盛岡市まで車で約1時間半の一関市にある花泉ナインはこの日、開会式に備えて午前6時45分に学校に集合。中止か決行か微妙な空模様だったため、吉田誠一監督がNTTの高校野球テレホンサービスに電話して確認したところ、「雨で順延」の音声が流れた。

 そこで「2日続けて順延」と思い込み、予約していた移動用バスをキャンセルしたが、実はこのテープは、前日に録音されたもので、この日の情報はまだ更新されていなかった……。

 その後、テレビのニュースで予定どおり開会式が行われることを知り、慌ててタクシーを呼んで盛岡市の県営野球場に急行したが、すでに式は後半に入っており、他のチームは入場行進を済ませて整列したあと。結局、花泉ナインはグラウンドに入場することができなかった。ちなみに同日は、11試合中7試合が雨で中止になっており、最後まで悪天候に振り回されっぱなしだった。

 開幕早々とんだミソをつけて、選手たちはガッカリしたが、「逆に目立ち、勢いがついた」と闘志を新たにすると、初戦の軽米戦を7回コールドの8対1と大勝。禍を転じて福と為した。

 なお、この事件の反省から、NTTは以後、テープに「〇月〇日」と日付も録音することになった。

 9回1死までノーヒットノーランを続けていた投手が、まだ十分投げられるのに交代させられる珍事が起きたのが、83年の群馬大会3回戦、前橋工vs伊勢崎商だ。

 前橋工のエース・渡辺久信は初回、先頭打者の宮下茂夫に右前に打たれたが、黒沢康弘が素早く一塁に送球し、ライトゴロでアウト。このプレーで一気にテンションが上がり、以後、1本も安打を許さない。許した走者は四球の2人とエラーの1人だけだった。

 そして、5対0とリードし、ノーヒットノーランまで「あと2人」となった9回1死、なんと渡辺久は、一塁を守っていた渡辺和彦にマウンドを譲ると、代わって一塁の守備に就いた。「高校野球に個人記録は不必要」というベンチの指示に従ったのである。

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継投によるノーヒッターは達成?