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10年間捕まらなかった義賊「鼠小僧次郎吉」の正体

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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両国回向院の鼠小僧の墓

両国回向院の鼠小僧の墓

鼠小僧のお守り。左の金色が子年限定

鼠小僧のお守り。左の金色が子年限定

小塚原回向院にある鼠小僧の墓(向かって一番左)

小塚原回向院にある鼠小僧の墓(向かって一番左)

 旧暦で言えば、1月25日の今日が正月にあたる。中国などのアジア各国ではこの旧正月と呼ばれる旧暦の年明けの方が盛大に祝われ、民族大移動的な休暇で大量のアジア人たちが各地へ旅をする時期でもある。古くからある干支は旧暦で考えられていたものであることを考えると、今日からが子年となったと言えるのだ。そこで今日はねずみ年にふさわしい縁起物の話をひとつ。

【写真】子年限定“鼠小僧のお守り”

●盗みの回数は、10年間で1000回超

 時代劇の大岡越前などによく登場した「鼠小僧次郎吉」は実在の人物である。義賊として江戸時代から歌舞伎や狂言、近代に入ってからも大佛次郎や芥川龍之介をはじめとした大作家たちからも作品として描かれている。武家屋敷ばかりで盗みを働いていたことから市井の人たちから喝采を浴び、いつしか「金をまいた」「貧乏人からは盗まない」などといった風説が広まっていった。

 では、実際はどうだったかと言えば、「武家屋敷のほうが警備が甘かった(厳重な警備は幕府に疑いをもたれるためとも)から」と、捕縛されてから次郎吉は告白している。しかも彼の盗みの目的は“ばくち”のためで、その盗みの回数は、10年間で1000回超、5000両を超えていたとも言われている。ここまでくれば立派なロクデナシである。

●最後は小塚原で獄門に

 結局、天保3(1832)年5月についに現行犯で捕まり、同年8月19日(9月13日)に市中引き回しの上、小塚原で獄門になる。捕まった時、ほとんど手元にお金を持っていなかったことから、ますます義賊説が流布するようになった。加えて、武士を困らせていたこと、一人で仕事をしていたことなどで一層人気は高まった。

 江戸時代、犯罪者のお墓など作れるはずもなかったが、獄門となった小塚原の回向院の片隅に、片岡直次郎(河内山宗春と悪事を重ねた)、高橋お伝(毒婦と呼ばれた)などと並ぶ形でお墓が残されている。墓碑銘は「源達信士 俗名 鼠小僧」とある。


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