――長く現役選手を続ける中でレスリング選手以外で刺激を受けた方はいますか。

 私がオリンピックに出たいと思ったきっかけの選手が柔道のヤワラちゃんと呼ばれた谷亮子選手でした。憧れて、中学1年生ぐらいからオリンピックで金メダルとりたいと思っていました。正式種目になる前から出たいと思い始めて、2004年のアテネから正式に決まりまして、出るために必死になっていました。

 憧れの選手はヤワラちゃんだけかなと。素晴らしい選手はたくさんいますが、オリンピックに出場したいという気持ちにさせてくれたのはヤワラちゃんです。アテネ・オリンピックで初めて谷選手にお会いさせていただいて、金メダルを見せてもらった瞬間に嬉しくて「夢が叶った」と。

 谷亮子選手は初日に試合が終わって金メダルをとられたので、私が選手村の部屋に押しかけて、そのときに金メダルを見せてもらって、写真を一緒に撮ってもらったんです。「谷亮子選手にあこがれてオリンピックを目指していました。お会いできて嬉しいです」というと、「話で聞いたことあるよ。頑張ってね」と金メダルを見せてくれて、それがパワーになって背中を押してもらえたのかなと思います。

――谷亮子さんのお話が出ましたが、今年参議院選挙があります。吉田選手にもお声がかかると思うのですが、ご関心はございますか。

 私は全然ありません。(要請があっても)お断りします。

――吉田選手を語る上で栄和人元監督も外せない。引退を報告する際にどのようなことを言われましたか。

 3歳から自分の父親に高校まで育てていただいて、大学に入ると同時に栄監督と出会いまして、ここまで世界で戦える、世界で活躍できる選手に育ててくれたのは栄監督だと思っています。情熱ある指導者で、自分の時間を割いてでも選手のことを考えてくれる指導者なので、感謝の気持ちでいっぱいです。ここまで育ててくれて今までありがとうございましたという強い思いがあります。引退を監督に言ったときは「そうか。ご苦労さん」という言葉をかけてくれたと同時に「俺が泣きそうだよ」と涙もろいところがあるので。ここまで育てていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

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一番印象に残るメダルは?