――引退を表明されたツイートには17個のメダルが載っていました。一番印象に残るメダルを挙げるとすればどれになりますか。

 難しいですね……。でも、2002年の世界選手権からスタートして、16年のリオ・オリンピックまで世界の舞台で活躍することができました。どれも印象に残っていますが、負けた試合でも、負けた人の気持ちがよくわかった大会になりまして、世界V16で一番高い表彰台にのぼって「勝てて良かった」という気持ちしかなかったところが、リオのオリンピックで初めて2番目の表彰台に登ったときに「負けた人はこういう気持ちなんだ」と思えたし、「こうやって戦う、競い合う仲間がいたから頑張ってこれたんだ」と知ることができました。負けて得たものが私自身を成長させてくれたと思うので、リオのオリンピックの銀メダルが私的には一番成長させてくれたと思うので、思い出に残っています。

――リオ大会の後の涙が非常に印象に残っています。「霊長類最強と言われていても、私のかわいい娘」というお母様の言葉がありました。引退について、お母様にはどのようなお話をされましたか。

 母に伝えたとき、「あなたが決めたことだからそれでいいと思うよ。本当にごくろうさま」と声をかけてくれました。何でも話せる姉妹みたいな母なので、なんでも相談するんですけど、涙もなく笑顔で話せたことを嬉しく思います。私はすべてやり尽くしたということを言いました。

――故郷・三重県への思いや地元の方へメッセージをお願いします。

 18年間三重県で実家のほうでレスリングをずっと続けていく中で、地元の皆さんの応援というのは私の大きな励みになりましたし、背中を押していただけて頑張ることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。優勝するたび、故郷に帰るとたくさんの方が声をかけてくれて、みんなが親戚のように接してくれるので嬉しく思っていました。今まで応援していただいて、本当にありがとうございました。

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去年女子レスリング界が揺れたが、どんな気持ちだったのか…