大晦日の数十分間だけ縄を解かれる 大岡越前守が裁いた「しばられ地蔵」とは (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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大晦日の数十分間だけ縄を解かれる 大岡越前守が裁いた「しばられ地蔵」とは

連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」

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しばられ地蔵(季節はまだ夏)

しばられ地蔵(季節はまだ夏)

結びだるま

結びだるま

縄解き供養

縄解き供養

 平成30年も間もなく終わりとなる。平成最後の年の瀬ということで、TV時代劇の名奉行としてもよく知られている大岡越前守(おおかえちぜんのかみ)に関係する、少し変わった年末恒例の行事「しばられ地蔵」を紹介たいと思う。

【縄解き供養の様子はこちら】

●見逃した地蔵にも罪がある!?

 越前守の裁きは「大岡政談」という形で本や講談などに取り入れられ、江戸時代からすでに人々の間で広く知られていた。例えば「三方一両損」「子争い」「五貫裁き」といった話は、越前裁きとしてよりもトンチ話として子どもの頃から親しんでいたのではないだろうか。

 その中に「しばられ地蔵」という話がある。お地蔵さまのそばでうたた寝をしてしまった商人が、持っていた反物を盗まれてしまうのだが、お奉行さまは「地蔵ともあろうものが盗みを見逃すとはけしからん」と地蔵に縄をかけ奉行所へ運んでくるのである。

 結局、これはどろぼうを奉行所へおびき寄せる方策だったのだが、しばられたお地蔵さまは江戸の名所となった。

●業平の名の由来は?

 このお地蔵さまは、安政の大震災や関東大震災などの被災もあって、現在は江戸川に近い葛飾区に移転したが、江戸時代には業平橋の西詰にあった南蔵院の境内に鎮座していた。

 東京スカイツリーのお膝元でもあるこの一帯には、今も「業平」という地名が残っているが、この名の由来は、南蔵院の境内にあった業平天神社にある。

 平安時代、東下りをしてきた在原業平が川遊びをしていた折、船が転覆し多数の死者を出した。業平がこの人たちを弔うために塚を作ったのが、業平天神社の始まりだと言われている。室町時代になり、神社のそばに南蔵院が開山された。

 ただし、この業平話については、真偽のほどは定かではない。そもそも業平の東下り自体が虚構との説が強いからだ。蛇足だが、平安時代のスターだった在原業平が作ったとされる「業平塚」は、全国各地に存在している。

●どろぼう除けのご利益で人気者に

 話を戻そう。

 この業平由縁の南蔵院のお地蔵さまは、大岡裁きの話の広まりとともに有名になった。どろぼう除けのご利益があるとして人々の信仰を集めたが、もともと諸願成就、病気治癒祈願で知られていたことから、さまざまな祈願で訪れていた者たちは、縄でお地蔵さまを縛っていくようになった。そして祈願成就のあかつきには、縛った縄を解いていた。このため次第に「しばられ地蔵」との異名を持つようになる。


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