阪神・山本和行 (c)朝日新聞社
阪神・山本和行 (c)朝日新聞社

 巨人が大型補強を敢行するなど、話題には事欠かない今年のオフシーズンだが、プロ野球がない日々に寂しい思いをしている方も少なくないだろう。そこで、今回は「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、阪神のピッチャーに起きた珍事件を振り返ってもらった。

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 投手が満塁本塁打を打つこと自体珍しいのに、その投手が直後、満塁本塁打のお返しをされるというなんとも因果な珍事が起きたのが、81年6月23日の広島vs阪神(甲子園)。

 阪神の先発・山本和行は2対0とリードした4回の第2打席で、川口和久から「生まれて初めて」という満塁本塁打を放つ。

 投手の満塁弾は75年6月26日の中日・星野仙一(大洋戦)以来、6年ぶり15度目。この一発で阪神は6対0とリードを広げ、楽勝と思われた。

 ところが、ここから山本が突然乱調に陥るのだから、野球は本当にわからない。

 5回に1点を返された後の6回、「お返し!」とばかりに4番・山本浩二に満塁本塁打を浴び、まさかのKO……。両チームが満塁本塁打を打ち合ったのは、80年6月12日の阪神vs中日(真弓明信、木俣達彦)以来7度目だったが、満塁弾を打った投手がグランドスラムのお返しをされたのは、プロ野球始まって以来初の珍事だった。

 この時点ではまだ1点リードだったが、8回、2番手・中田良弘が山本に2打席連続の2ランを許すなど4点を失い、6対9と逆転されてしまった。

「満塁ホームランなんか打つから、おかしくなったんですかね」と山本和行は悔やんだが、この話にはまだ続きがある。最終回にさらなるどんでん返しが待っていたのだ。

 8回に1点を返した阪神は、9回2死から掛布雅之の死球と代打・川藤幸三、岡田彰布の連続四球で満塁。だが、次打者・藤田平は三振に倒れ、これでゲームセットと思いきや、ワンバウンドしたボールを捕手・道原裕幸が捕球できず、振り逃げとなる間に二者が生還。土壇場で9対9の同点に追いついた。さらに2死一、三塁から佐野仙好の二塁への内野安打でサヨナラ勝ち。

 それから37年後の今年9月16日のDeNA戦(横浜)で、藤浪晋太郎が3回に山本以来球団史上2人目の満塁本塁打を記録。この一発がモノを言って、5回4失点ながら白星を挙げ、“満塁本塁打を打って初めて勝利投手になった男”として、球団史に新たな足跡を残すことになった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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