俳優の松田優作さん(1982年) (c)朝日新聞社
俳優の松田優作さん(1982年) (c)朝日新聞社
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1973年の松田優作さん (c)朝日新聞社
1973年の松田優作さん (c)朝日新聞社

 40歳の若さでこの世を去った俳優の松田優作さん。1989年(平成元年)11月6日に亡くなってから29年が経つ。テレビドラマ「太陽にほえろ」の“ジーパン刑事”役で人気を集め、殉職シーンの鬼気迫る演技は今もなお語り継がれている。アクションスターとしても一気にスターダムをのし上がり、俳優・高倉健さんと共演した米映画「ブラック・レイン」はハリウッドデビュー作となったが、遺作にもなった。AERAdot.では、前妻で作家の松田美智子さんにインタビュー。優作さんとの出会いや葛藤を語ってもらった。

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「エキセントリックで、一緒にいると本当に色んなことが起きました。22、3歳の役者はみんなそういうものだったけれど、優作の場合は喧嘩とか身体を使ったエキセントリックさ。大変な時期ではありましたが、苦ではありませんでした」

 美智子さんは優作さんと過ごした時期をこう振り返る。

 1971年5月、優作さんと美智子さんは、俳優で料理研究家の金子信雄さんが主宰する劇団「マールイ」で出会った。ともに21歳。役者を目指す二人は互いに惹かれあい、まもなく同棲生活を始める。その後、1975年に結婚。出会いから11年間にわたって生活をともにした。

「冗談やダジャレを言うことが好きな人だったけれど、根が明るいわけではありません。青春時代にキャーキャー言われる経験がなかったし、寂しさを持った人でした」

 そう明かした美智子さん。優作さんとは「一生一緒にいる」感覚ではなかった、と。

「むしろ『やりたいことがあるから一緒にいる』側面のほうが強かったですね。ぶつかり合いの日々でした。優作は愛情を試すようなことをする人でもありました」と美智子さん。ビルの屋上でフェンスに腰掛け、隣に来るように促されたことがあるという。

「そこで渋っていると『信用していないのか』と。でも、物理的に怖いですから。信じる、信じないの話ではないでしょう。他にも、私が芝居の稽古に行こうとすると『行くな』と言うし、現場にもついてくる。気付けば現場に紛れているんです。自分の知らないところで何かが起きるのが嫌だったんでしょうね。彼のペースに乗せられていました」

 美智子さんは自著『越境者 松田優作』(新潮社)の中で、優作さんを「得体のしれない硬質なエネルギーを発散している」と評している。

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優作さんに抱いた「違和感」