西田敏行が明かす「暴れん坊将軍」に大河「八代将軍吉宗」が勝った秘訣 (c)朝日新聞社
西田敏行が明かす「暴れん坊将軍」に大河「八代将軍吉宗」が勝った秘訣 (c)朝日新聞社

 島桂次会長による“NHKのペレストロイカ”(経営改革)の嵐が静まった1995(平成6)年、子会社のNHKエンタープライズに発注されていた大河ドラマの制作が、NHK本体に戻った。

 同年の第34作目「八代将軍 吉宗」から、“共同制作 NHKエンタープライズ”のクレジットが消え、同時に放送期間が“1月から12月までの暦年1作”という本来の形に戻された。

「八代将軍 吉宗」の主人公は、江戸時代中期、御三家紀州徳川家の四男(次兄が早世しているため三男と数えられることもある)として生まれた第八代征夷大将軍の徳川吉宗。

 吉宗は“享保の改革”の功績で“徳川幕府中興の祖”として知られているが、一般的には“将軍がお忍びで江戸市中を徘徊し大立ち回りを演じる”テレビ時代劇「暴れん坊将軍」の主人公としての方が知られているかもしれない。松平健が長年にわたり吉宗役を務めたことによって、“吉宗=松平健”というイメージが定着しているからだ。 

 因みに同作はシリーズ12作とスペシャル3本を合わせた放映回数は計832回、そこから以下のようなウソかマコトか真偽が定かではない話が流布された。高校の歴史テストに『江戸幕府八代将軍徳川吉宗の別名は( )将軍と呼ばれたか?』という問題が出された。正解は"米"だが、"暴れん坊"と書いた生徒がいた、というのだ。

 それはともかく、本作の脚本は、「山河燃ゆ」で始まった“近代史路線”の低迷から「独眼竜政宗」で大河ドラマを救ったジェームス三木。エグゼクティブ・ディレクターはかつて“大河ドラマの男”と呼ばれた大原誠が「徳川家康」から13年ぶりに大河に戻って、才腕をふるった。

 主役級を並べたキャスティングは、制作陣の意気込みを誇示しているようで、凄い。

 吉宗に「翔ぶが如く」の西田敏行、ライバルの尾張藩主徳川宗春に「武田信玄」の中井貴一、六代将軍家宣の側用人・間部詮房に「天と地と」の石坂浩二、大岡忠相に「徳川家康」の滝田栄という大河の看板を担ったことがある面々。女優陣も華やかだ。黒木瞳、賀来千香子、藤間紫、草笛光子、名取裕子などなど、前三作の低迷を払拭するためのNHKの懸命さが伝わってくる布陣だ。

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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西田敏行の吉宗観