“松坂世代”が躍動した第80回大会は名勝負の宝庫 (c)朝日新聞社
“松坂世代”が躍動した第80回大会は名勝負の宝庫 (c)朝日新聞社

 第100回記念大会を迎える今夏の甲子園。球児たちによって、また一つ、新たなドラマが生まれることになる。この“平成最後の夏”を前に、1989年(平成元年)の第71回大会以降に繰り広げられた「平成の夏」の死闘、激闘、白熱の大会を振り返ってみたい。

 1989年、平成最初の夏の注目は、上宮(大阪)の4番で主将の元木大介だった。春のセンバツ決勝戦で逆転負けに終わり、夏は大会前から大フィーバーとなった。だが、仙台育英との準々決勝で、エース・大越基の前に敗れて夢潰える結果に。その仙台育英も、決勝戦で吉岡雄二擁する帝京(東東京)の前に延長戦の末に敗れた。前田三夫監督率いる帝京は、これが甲子園初優勝。ここから帝京の“勝者”の物語が始まることになる。その他、同大会には常総学院(茨城)の仁志敏久や、横浜(神奈川)には鈴木尚典、本工(熊本)の前田智徳など、その後プロ野球界を盛り上げることになる巧打者がめじろ押しの大会でもあった。

 それから5年、1994年(平成6年)の夏は、平成最大の番狂わせと呼ばれる大会となった。センバツ優勝の智弁和歌山(和歌山)を筆頭に、準優勝の常総学院(茨城)、ベスト4のPL学園(大阪)、桑名西(三重)が揃って地方大会で敗退。本命不在の中で九州勢が強さを見せ、ベスト4に柳ヶ浦(大分)、樟南(鹿児島)、佐賀商(佐賀)の3校が残った。その中で佐賀商は、準々決勝で大会史上最も遅い午後8時42分試合終了というナイターを勝ち抜いた後、準決勝で佐久(長野)を相手に延長サヨナラ勝ち。決勝では、樟南相手に5回まで0対3も8回に4対4の同点に追いつくと、9回表2死満塁から決勝戦史上初となる満塁本塁打を放って「奇跡の夏」を完成させた。

 その後も数々の名勝負が繰り広げられたが、やはり平成最高の大会に1998年(平成10年)の第80回大会を挙げるファンは多いだろう。本命はエース・松坂大輔を擁し、春夏連覇を狙う横浜(東神奈川)。後に“松坂世代”と呼ばれる実力者が顔を揃えた中で、夏も順当に勝ち上がると、準々決勝ではPL学園(南大阪)と対峙。センバツ大会準決勝で3対2の接戦だった両校は、今度は点を奪い合いながら一歩も譲らない激戦を演じ、延長に入っても11回、16回と1点ずつを奪い合う死闘を展開。結果、延長17回9対7という甲子園史上最高と言われる名勝負を制した横浜が、続く準決勝で明徳義塾(高知)に0対5からの逆転サヨナラ勝ちで決勝へ進み、最後は松坂が京都成章を相手にノーヒットノーラン締め。“怪物”は“伝説”となった。

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「横浜対PL学園」に並ぶ平成の名勝負