「1985年の阪神」「甲子園」「槙原寛己」の3つのキーワードを並べると、阪神ファンならずとも、おそらく10人中10人までが「バックスクリーン3連発」と答えるだろう。

 でも、ちょっと待ってほしい。実は、このキーワードから成り立つもうひとつのホームランのドラマが存在するのだ。

 4月17日の阪神戦でバース、掛布雅之、岡田彰布のバックスクリーン3連発に沈んだ槙原は、約2カ月後の6月28日、再び因縁の甲子園のマウンドに立った。

 この時点の槙原は、6月以降3連敗と調子を落とし、「もし今日ダメだったら、ズルズル負けが込んで、ファームに落ちるんでは……」と追い詰められた状況だった。加えて、巨人打線もこの日の阪神の先発・ゲイルに対し、2試合連続完封負けを含む20イニング連続無得点とあって、トラファンは「今日も貰った!」と試合前から勝ったような気分だった。

 ところが、初回に原辰徳が先制2ランを放ち、21イニング目にゲイルから初得点を挙げると、試合は一方的に巨人ペースで進む。3回に篠塚利夫とクロマティの2発でゲイルをKO。6回にもクロマティと吉村禎章がアーチ攻勢をかけ、計5本塁打で8対1と圧倒した。

 そして、7回に「まさか!」のダメ押し弾が飛び出す。1死から槙原が工藤一彦から左越えにプロ5年目の初本塁打を放ったのだ。しかも、これが球団創設以来通算5000号となるメモリアルアーチだった。

 巨人は2017年に中井大介が通算10000号を記録しているが、1000号から10000号まで1000本ずつの節目のアーチを放った選手の中で、投手は槙原だけという超レアな記録でもある。

 巨人はチーム最多タイとなる1試合8本塁打で14対1と大勝し、バックスクリーン3連発の雪辱をはたす。

 完投で約1カ月ぶりの白星を挙げた槙原は「うれしい。最高。記念のホームランに完投勝利」と満面に笑みをたたえた。

 ちなみに槙原は19年間で898回打席に立っているが、これが唯一の本塁打。898分の1で見事5000号を引き当てたというのは、宝くじの特等以上の快挙かもしれない。

次のページ
現役メジャーリーガーも“まさかの一発”