ヤクルト・土橋勝征(右)=1995年撮影 (c)朝日新聞社
ヤクルト・土橋勝征(右)=1995年撮影 (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「“まさか”の本塁打編」だ。

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 風のいたずらか?はたまた超常現象か?打った本人もビックリの“神打球”がチームの劇的勝利を呼んだのが、1995年4月26日の横浜vsヤクルト(神宮)

 7連勝と勢いに乗るヤクルトだったが、この日は一転して斎藤隆の前に8回1死までノーヒット。自軍の吉井理人も横浜打線を8回までゼロに抑えているとはいえ、「今日の斎藤は完璧。やられた」と野村克也監督もノーヒットノーラン負けを覚悟するほどだった。

 だが、ここで6番・ミューレンが四球を選んだことがきっかけとなり、勝利の女神は一転ヤクルトに微笑む。

 1死一塁で土橋勝征はバットをひと握り余らせ、斎藤の内角ストレートを一振。快音とともに大飛球が左翼ファウルゾーンへ。

 飛距離は十分だったが、このとき球場の風は右から左へと吹いており、常識的にはファウルになるはずだった。斎藤も当然「(ファウルの後の)次の投球」を考えていた。

 ところが、逆風にもかかわらず、なぜか打球はファウルゾーンからスライスして左翼ポールを直撃。まさに「奇跡」としか言いようのない決勝2ランだった。

 結局、ヤクルトは土橋の1安打(本塁打)のみで、2対0と勝ち、2年ぶりの8連勝を達成。ヒーローになったことを喜ぶよりも戸惑いの気持ちのほうが強かった土橋はお立ち台を辞退したが、野村監督は「ファウルからスライスして入った。ワシも打ったことがある。神業だ。今の(首位)ヤクルトを象徴しとる」と大喜びだった。

 同年、ヤクルトは2年ぶりのリーグ優勝&日本一を実現する。V決定後、野村監督は「土橋は裏MVPだ」と最大の賛辞を贈っている。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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