ビートルズ最後のアルバムとなった1970年発表の「Let It Be」
ビートルズ最後のアルバムとなった1970年発表の「Let It Be」
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

 今から49年前、解散間近の時期に突然行われたビートルズのライブ。その手法は画期的なもので、後のアーティストにも大きな影響を与えた。音楽ライターの大友博さんが語る。

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 1969年1月30日。つまり49年前のちょうどこの時期、ロンドン中心部メイフェアのサヴィル・ロウ3番地に建つビルディング(当時のアップル・レコード本部)の屋上で、ちょうどランチタイムだったそうだが、ライヴ音源/映像の収録を目的とした、約40分のコンサートが行なわれている。ザ・ビートルズ最後のライヴ・パフォーマンスとなった、あの「ルーフトップ・コンサート」だ。

 バンド解散後の1970年夏に公開された映画『レット・イット・ビー』の主要パートとなったこのコンサートに関しては、事前の告知などまったくなかったという。公的機関からの許可も得ていなかったそうだから、超大物バンドによるロック界初のゲリラ・ライヴと呼んでいいだろう。そのゲリラぶりは、「背広」の語源だともいわれるサヴィル・ロウを歩く英国紳士たちの微妙な表情、交通の混乱や渋滞、警察官たちの厳しい姿勢など、ドキュメンタリー・パートの映像でもしっかりととらえられている。

 しかし、のちに僕たちがアルバムや映画で耳にした音はあくまでも作品として整えられたものであり、もちろんPAシステムなどは完備されていなかったはずだから、街を往く市民たちが頭上から聞こえてくる音を「素晴らしい音楽」として受け止めていたかどうかは、疑問。なんだか正体のわからない騒音だったのかもしれないし、貴重なライヴをきちんと楽しめたのは、近くのビルの屋上に出てきた人たちだけだったのではないだろうか。

 ビートルズは、66年6月に最初で最後の日本公演を行なったあと、同年8月のサンフランシスコでのコンサートを最後に、ライヴやツアーは行なわず、スタジオでの創作活動に専念するという姿勢を貫いてきた。そのもっとも大きな成果が67年発表の『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だったわけだが、翌68年の『ザ・ビートルズ/ザ・ホワイト・アルバム』で彼らは、この間に録音環境が飛躍的に向上したこともあり、半年もの時間を費やしてしまっている。多重録音を駆使し、仲間に頼らず仕上げたトラックも少なくなかったようだ。

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大友博

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大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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