そういった状況を打ち破るための原点回帰プロジェクトのようなものとして発案された69年1月の「ゲット・バック」セッションはマイケル・リンゼイ=ホッグ監督のチームによって撮影された。レコーディングのエンジニアリングはグリン・ジョンズとアラン・パースンズが担当したが、紆余曲折あって仕上げは鬼才フィル・スペクターに任され、『レット・イット・ビー』のタイトルで、70年5月に最終アルバムとして発表されている。映画『レット・イット・ビー』の公開は、すでに書いたとおり、同年夏。日本での上映も8月末にははじまっていたはずで、高校2年生だった僕は夏休みのうちに、有楽町の映画館で観ている。

 いろいろなことが読み取れる映像作品だが、それはずっとあとになってから理解できたことであり、ギターに興味を持ちはじめたばかりの少年は、まずなによりも、ジョンのエピフォン・カジノとフェンダー6弦ベース、ジョージのテレキャスター・ローズウッド・プロトタイプ、ポールのマーティンD-28など、彼らが手にする宝物のような楽器に魅せられた。ジョージの提案で招かれたというビリー・プレストンが弾くエレクトリック・ピアノ(フェンダー・ローズ)の美しい音にも強く惹かれた。ジョージの足下で異様な存在感を放つ黒のコンヴァースにも憧れたが、楽器類だけではなく、そのシューズもまた、まだまだ文字どおりの高嶺の花だった。

 ルーフトップ・コンサートで演奏されたのは、「ゲット・バック」「ドント・レット・ミー・ダウン」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」「ワン・アフター909」「ディグ・ア・ポニー」の5曲。複数回演奏された曲もあり、計9テイクだったという。リトル・リチャード、サム・クック、レイ・チャールズらのバンドで腕を磨き、経験を積んできたプレストンの参加がいい刺激になったのかもしれないが、ビートルズの4人は、2年半もステージから遠ざかっていたバンドはとても思えない、しっかりとした演奏を生きいきと聞かせている。周囲からの期待は高まったに違いない。本人たちも手応えを感じていたはずだが、結局、この年の夏に『アビィ・ロード』を仕上げたあと、ビートルズは実質的に分裂してしまったのだった。

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