東京を中心に首都圏には多くの医学部があるにもかかわらず、医師不足が続いている。そのような中、現役の医師であり、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は、著書『病院は東京から破綻する』で、医学部の定員を増やすことに尽力した人物について言及している。
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日本の医師不足は明らかであり、早急に若手の医師を増やす必要があります。そのためには、医学部の定員を増やすか、医学部を新設しなければなりません。
ところが、これがなかなか進みません。
医学部の定員を増やす、あるいは医学部を新設するには、政府の規制を緩和しなければならず、政治や行政を動かす必要があります。ところが、医師を増やそうとすると、それに反対し、抵抗する人々が出てくるのです。
かつてそうした勢力と闘った一人が、前東京都知事の舛添要一氏でした。
舛添氏は政治資金の使い途を追及され、都知事職を辞任しました。私自身も納税者の一人として、資金の使途や舛添氏の振る舞いは不適切なところがあったと考えています。
しかし、政治家としては卓越した能力を持っていたと思います。厚労大臣として成し遂げた仕事の中には特筆すべきものがあります。医学部の増員を決めたのは彼だからです。
日本経済新聞の報道によると、舛添氏が医学部定員を増やそうとしたとき、文部科学省(以下、文科省)に出向中だった医学教育課長ら、医師免許を持つ厚労省の幹部官僚が、東大などの医学部に「医師はなるべく増やさない方向で頼みます」と電話して回ったことが判明しています。
厚労省の幹部官僚から、直接電話で「依頼」された国立大学の医学部長たちは悩んだはずです。厚労大臣は大きな権限を持ちますが、任期は通常1~2年です。一方、幹部官僚は、その人物が退官するまで、研究費の工面や審議会の人選などで「お世話」になります。大臣と幹部官僚の板挟みにあった場合、通常は官僚に与します。