そもそも『枕草子』を書いたきっかけは、定子から格式ある大型の冊子を執筆するよう託されたことが発端でした。そのとき清少納言は定子がどんな状況になろうと「定子の文化を書き留めるのだ」と決意し、最後までブレなかった。泣いている定子を書き留めるのは自分のゴールではないという思いを清少納言は貫いたのです。

――清少納言がそこまで定子を絶対的に崇め、何があってもその姿勢を崩さなかったことにグッと来ます。定子も清少納言のことを信頼しきっていたようですね。

 清少納言にとって定子は本来ならそばに寄ることもできないような身分の人。それだけで強い憧れを抱いたでしょうし、実際に会ってみたらやさしく心遣いにあふれ、リーダーシップもあり、しかも自分に似た型破りな一面もあった。定子も清少納言の美意識や才能を引き出した。個人的に気が合ったということもあったようで、清少納言が新人のころから目をかけられていたのは随所に伺えます。

 定子の家が没落した時、いろいろな人が定子を見限ったでしょう。女房は横のつながりが多いので転職する人も多かったはず。それでも、清少納言は第一次『枕草子』を書いて定子に献上した。定子の心を打ったことだと思います。

――清少納言は、強い意志を持って『枕草子』を書き上げました。そしてこの作品を守るために、定子をいじめた道長のもとでも作品が生き延びるために、道長への恨みや政治的な批判は一切書かなかったと本書では述べられていますね。

 道長のことを悪く書いていないどころか、むしろ「憧れていた」と書いています。道長や政治の批判が書かれていたらその後も残ったとは考えにくいでしょう。

 もうひとつの理由として、政治的敗北者を描いた作品は大切に残されるということもあります。政治的敗北者は死ぬと怨霊になると信じられており、「怨霊」を「御霊」に変えて祀ることが平安初期から行われていました。当時の文学作品は鎮魂の意味もあったのです。

『枕草子』がそれを狙っていたかどうかは定かではありませんが、定子の素晴らしかった様子を永久保存したいという清少納言の願いと、定子の魂を鎮めたいという貴族社会のニーズが合致したところはあると思います。

――学校で習う古典もこうした話があれば、もっと身近に感じることができると思います。

 そうですね。『枕草子』はまだわからない部分がたくさんありますが、この本に著した「たくらみ」は、2000年代以降急速に進んだ研究をまとめ、私の説をプラスしたものとなっています。「春はあけぼの」は必ず習うけれども、今お話したようなことは習う機会は少ない。学生の方にぜひ手にとっていただきたいですし、学校の先生がたにもこれを授業のネタにして広めていただければ嬉しいですね。そうすれば「清少納言は自己顕示欲が強くてイヤな女」というイメージは変わってくると思います。(文/安楽由紀子)