だが最終面接で選に漏れてしまう。他のメーカーから内定はもらっていたが、心は動かなかった。就職活動を経て、子どものころからの夢がよみがえっていた。

「物心ついたときから『鉄腕アトム』の漫画を読みあさり、いつかはロボットの開発に携わってみたいと思っていました。それを仕事にしたいと思い、大学に入り直して、ロボットエンジニアを目指すことにしました」

「京都大学の工学部に行く」と両親に宣言し、内定を辞退。退路を断ち、予備校に通い始めた。

 目標を設定したものの、壁は高い。学力は心もとなかった。

「内部進学で大学に進んだので、そもそも受験勉強を経験していません。もうこのころは、アタマ空っぽでした。だから、すべて一から勉強しなくてはいけなかった」

 まずは、得意な数学と物理から始めた。予備校の授業も、この2教科以外は受けずに後回し。勉強しないうちに受けても仕方がないからと、模擬試験も受けなかった。

 徐々に受講する教科を増やし、ようやく全教科の授業を受けられる状態になったのはセンター試験の直前だった。しかし99年春、努力が実り、京都大学の工学部に合格した。

 24歳で迎えた2度目の大学1年生。さっそくロボットづくりに熱中した。その年の冬、自宅の一室で1作目が完成する。アニメ「機動戦士ガンダム」に登場するロボット「ザク」のプラモデルをベースにつくった、リモコン型の二足歩行ロボットだ。

 その後もロボットづくりに打ち込み、「部品代を稼ごう」と出場したベンチャーコンテストでは、優勝を総なめに。展示会にも出品し、自作ロボットを売り込んだ。

「立命館でロケハン(下見)を済ませていた私の場合、学生が何をすべきか、社会の構造がどうなっているのかを、他の学生よりも理解できていました」

 京都大学での4年間はひたすらロボットをつくった。「学生の自主性に任せ、非常に自由だった」という京都大学は、自ら学び、成功と失敗を重ねながら成長していくには理想的な環境だった。

次のページ