国鉄越中島貨物線の下をアップダウンする光景が「南砂町の専用軌道」の見どころだった。南砂町一丁目~南砂町三丁目(撮影/諸河久:1965年12月9日)
旧景から56年を経て訪れた南砂町三丁目の停留所跡。都電廃止後設置された「南砂緑道公園」に植樹された桜並木は太い幹をたたえ、桜花満開の時節には再訪したくなった。(撮影/諸河久:2021年2月5日)
夏草の生い茂る専用軌道の上り坂を力走する38系統日本橋行きの都電。都電編入時は39系統錦糸堀~洲崎として運転され、戦後になって38系統錦糸堀車庫前~日本橋に改編された。南砂町三丁目~南砂町一丁目(撮影/諸河久:1963年7月22日)
軌道跡は緑道公園の遊歩道となり、画面左奥にJR越中島線のガードが覗いている。画面右端に都電の車輪などを展示した江東区のモニュメントが見える。(撮影/諸河久:2021年2月5日)
越中島貨物線側から写した「南砂町の専用軌道」と軌道の左側に続く汽車製造会社東京製作所の広大な社用地。カメラを構えた眼前を38系統門前仲町行きの都電が走り去った。ちなみに、昨今は門前仲町を「もんなか」と呼ぶが、往時は「なかちょう」と呼んでいた。南砂町三丁目~南砂町一丁目(撮影/諸河久:1963年7月22日)
国鉄越中島貨物線を走る蒸気機関車牽引の下り貨物列車。1960年代は江東区でも蒸気機関車が活躍していた。右側の線路が汽車製造会社東京製作所の引込線。小名木川(2000年廃止)~越中島(現・越中島貨物)(撮影/諸河久:1965年12月9日)