日曜日の早朝、ヘッドライトを灯して吾妻橋を渡る30系統寺島町二丁目行き。橋上の自動車は皆無で、都電の独壇場だった。方向幕は向島寺島二を表示していた。浅草~本所吾妻橋(撮影/諸河久:1965年2月14日)
55年が経過し、隅田川沿いに高層ビルが林立する吾妻橋の近景。吾妻橋東詰の頭上を走る首都高速向島高架線の影が画面手前に広がる。車道左奥に竣工から一世紀を経た神谷ビル本館が見える。(撮影/諸河久:2020年8月15日)
改修工事で単線運転の吾妻橋を渡り終え、浅草停留所に停車中の30系統上野広小路行き。工事中の吾妻橋は自動車通行止めで、都電と歩行者が通行可能だった。(撮影/諸河久:1964年6月14日)
地上634mの電波塔「東京スカイツリー」の開業に合わせて、優雅なネオ・ルネッサンスの外観への回帰工事が完成。浅草の新たなランドマークとなった「浅草駅ビル」。吾妻橋交差点(撮影/諸河久:2020年8月15日)
浅草停留所を発車し、江戸通りを走る千住線と交差する24系統須田町行き。画面右に隣接する雷門停留所との距離は113mしかなかった。背景の街並みには、大和銀行、三井銀行、富士銀行、神戸銀行、東海銀行など、懐かしい名称の金融機関が林立していた。浅草~雷門(撮影/諸河久:1964年6月14日)