三軒茶屋を発車して、世田谷線との分岐点に差し掛かる玉電近代化のエースデハ200型。玉電の右側を走るのは日産ブルーバード510クーペで、後部を併走するのが日産ブルーバード410と「ブルーバード」の全盛期でもあった。三軒茶屋~三宿(撮影/諸河久:1969年5月10日)
JR渋谷駅の玉川改札。かつて「玉電」との乗り換えで使われていた呼称がそのまま残っている(撮影/AERA編集部・井上和典 協力/東急百貨店、東京急行電鉄)
現在の三軒茶屋駅付近。手前が国道246号線で、左奥が世田谷通り。車だけでなく通行人も多い場所だ。高速道路の高架が空を遮っている(撮影/AERA編集部・井上和典)
下り玉川通りは渋滞の嵐。視界を妨げる排気ガスの中を縫うように走る二子玉川園行きデハ80型と続行する下高井戸行きデハ150型。右手前には日野TH17型ボンネットトラックも見える。三宿~三軒茶屋(撮影/諸河久:1969年5月10日)
安全地帯がなかった三軒茶屋停留所の乗降風景。写真のデハ80型(車輪径810mm)は高床式のため、幼児やお年寄りの乗降は難儀だった。混雑時には係員が派遣され、中間の扉も使用された。この停留所に近接した「綿元寝具店」「大和一文字金物店」「乾物のあだち商店」は、今も同所で盛業中なのが嬉しい。(撮影/諸河久:1969年5月10日)