ただ、龍さんがこだわったのは、漁業権の開放に賛成か反対かということではなかったはずだ。県知事という強い者が、被災者という弱い者にトップダウンで言うことをきかせようとする。前出の平野さんは「龍さんはそのことが許せなかったのだと思う」と語る。
復興相を辞任した後には、キングハーベストでちょっとした騒動も起きた。会見で辞任を決めたのはいつかと記者から問われた龍さんが、「昨日の夜9時半、キングハーベストというお店で昔の音楽を聴きながら」と話したのだ。案の定、その日の夜から辞任を決めた時の様子を聞こうと、店には記者が次々と訪れた。
世間では龍さんへの批判が沸騰していた。しかし、そんな時でも常連客たちは「龍さんは理由もなくあんなことを言う人ではない。何であんなに激しい口調になったのか、その背景を知ってほしい」と必死に龍さんをかばった。前出の常連客は、当時のことをこう振り返る。
「震災対応で緊張の連続で、最後は疲れ過ぎで感情のコントロールができなくなってしまったのだと思う。店に話を聞きに来た記者で、龍さんに会いに行った人もいたけど、村井知事を批判するようなことは言わなかったそうです。自分の失敗を誰かの責任にしたり、言い訳をしたりしない。龍さんらしいなと思いました」
辞任会見では、国鉄総裁だった石田礼助の言葉を引用して、「粗にして野だが卑ではない松本龍、一兵卒として復興に努力をしていきたい」と話した。その言葉通り、大臣辞任後、そして政界引退後も被災地への訪問や自治体関係者、被災地選出の与野党議員との交流を続けた。熊本で開かれる水俣病の慰霊祭も、毎年のように参加していた。
酒場には、出会いと別れがある。結婚、出産、就職、転勤、退職など、人生の転換点を機にある人は新しい客となり、ある人は足が遠のく。龍さんも、政治家を引退してからは福岡を中心とした生活となり、店に来る回数は減った。
それでも上京した時にはフラリと店にやって来た。時には、被災県の自治体の首長と一緒だったこともある。平野さんによると、その首長たちは「震災の時、龍さんに助けてもらった」と感謝の言葉を述べていたという。