2018年シーズンが開幕して約1カ月が経ち、連日熱戦が繰り広げられているが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「消えたメモリアルゲーム編」だ。
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足掛け11年にわたって連続試合出場記録を更新中の広島の“鉄人”衣笠祥雄が1980年7月29日のヤクルト戦(広島)に3番サードでスタメン出場。飯田徳治(南海-国鉄)の日本記録1246と肩を並べた。否、並べたはずだった……。
実はこの日、広島地方には大雨洪水雷雨注意報が出ており、3回途中から心配された雨がポツポツと降り出した。
さらに間の悪いことに、ヤクルトがこの回に渡辺進の2ランなどで5点を先制すれば、その裏、広島もライトルの満塁弾で5対5に追いつくという激しい点の取り合いになり、その分試合時間も長引いてしまった。
4回にスコットの2ランで勝ち越された広島は5回裏、先頭の衣笠からの3連打で1点差に詰め寄り、なおも無死一、三塁のチャンス。ここで一気に逆転するか、スリーアウトになれば、ギリギリ5回で試合が成立し、衣笠の記録も達成される。
ところが、皮肉なことに、ここで雨が急に激しくなり、審判団の協議の結果、無情の中断となった。
試合再開を祈りながらベンチからじっとグラウンドを見つめていた衣笠だが、一向に雨は上がる気配がない。イライラ感が募ったのか、途中からベンチ裏にしゃがみ込むようにして、“ヤケタバコ”をふかしだした。
そして、30分後、連盟規定により、5回途中ノーゲームに……。
汗と努力の結晶とも言うべき日本タイ記録が成立寸前でリセットされる形になった衣笠は「僕がとやかく言うことではないけど、あそこ(5回裏)まで行ったら、やりたかった」と無念の表情。久保田治球審も「衣笠の記録はわかっていました。自然現象ですから、どうしようもありません」と気の毒そうだった。
衣笠は2日遅れの同31日のヤクルト戦で日本タイを達成したが、ルー・ゲーリッグの持つ世界記録2130に並んだ87年6月11日の大洋戦(広島)でも、同じ日に起きた巨人・クロマティの暴行事件にスポーツ紙の1面を奪われ、4面に追いやられるという悲哀を味わっている。