この期間に菊池と大谷がいたのだから勝ちが多くて当然という意見もあるかもしれない。確かに菊池が3年時の花巻東は春、夏の甲子園で8勝をマークしているが、大谷の在籍期間は1勝も挙げていない。決して二人だけで稼いだ勝利数というわけではないのだ。

 昨年も盛岡大付が春夏連続でベスト8に進出していることも岩手のレベルが上がっていることの証明と言えるだろう。現役プロ野球選手(NPBに限る)の出身都道府県を見ても岩手県は8人で33位タイ。人口あたりに直しても27位であり、上位とはいえないが、畠山和洋(ヤクルト)と銀次(楽天)以外の6人は過去10年以内にプロ入りした選手であり、近年の躍進ぶりがよく分かるデータとなっている。

 県内をリードする花巻東と盛岡大付はチームカラーが大きく異なるのも特徴だ。花巻東は基本的に地元の選手で構成されており、盛岡大付は県外出身の選手を積極的に受け入れている。

 また、花巻東は投手を中心とした比較的手堅い野球を得意としており、盛岡大付は昨年のチームにも象徴されるように、打ち勝つ野球が根付いてきている。大谷が3年夏の岩手大会決勝で敗れた相手も盛岡大付である。このように異なる価値観で切磋琢磨してレベルアップしている岩手という環境が、菊池と大谷に好影響を与えたことは間違いないだろう。

 加えて二人が所属していた花巻東の環境、チーム事情も大きい。今年の選抜に出場したチームもそうだったが、比較的早い時期から複数の投手を起用することが多く、二人が所属していた時代にもエース一人に負担が集中することがなかったのだ。

 菊池は甲子園では多くのイニングを投げてはいるが、同学年には後に大学、社会人でもエース級として活躍する猿川拓朗(日立製作所)がいたこともあり、地方大会での登板数は限られていた。

 実際に3年夏の岩手大会で菊池が完投したのは決勝戦の1試合だけである。大谷の世代のチームも小原大樹(日本製紙石巻)、山根大幸(日本生命)などが2番手以降に控えており、3年夏の岩手大会で大谷が9回を完投した試合は1試合もない。高校時代に絶対的なエースとして酷使されて消耗しなかったことは、二人にとっては幸運だったと言えるだろう。

 そして、高校時代は大谷が菊池を追い、プロ入り後は菊池が大谷を追うという構図によって、ともにレベルアップしていったということもあるのではないだろうか。菊池の存在がなければ大谷が160キロを目指すこともなかったかもしれないし、大谷の活躍という刺激が菊池の覚醒のきっかけとなった部分もあったはずである。

 その二人が来年以降はメジャーに舞台を移し、さらに刺激を与えながら圧倒的なパフォーマンスを見せてアメリカを席巻する。そんな関係が今後も続いていくことを期待したい。(文・西尾典文)

●プロフィール
西尾典文
1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。

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