私はそのころ、国会の動きを与党側で取材する「国対番」。議員宿舎の玄関に現れた民主党の国会対策委員長、安住淳さんと「サシ」の状態で、朝刊を渡した。その日の審議をどうしのぐか。「(相手が外国籍だったことを)『知らなかった』って言えば終わりだろうけどな」と相手は言い残し、ハイヤーに乗り込んだ。

 それが政権の幕引きのシナリオだった。午前の参院決算委員会。首相は「外国籍の方とは承知していなかった」とその線で答弁したが、野党が許すはずがない。「朝日新聞は菅政権にとどめを刺すつもりか」。ぼやき、恨み言、いらだち。民主党幹部からはそんな声が漏れてきた。

「嵐の前の静けさか」。そう。時計の針がまったりと午後に進んだとき、「嵐」はまだ首相のクビ程度の話だったのだ。

 午後2時46分。

 国会の建物が波打った。

 ミシッ、ミシッときしむ音が聞こえる。ゆっさ、ゆっさと緩慢なリズムで辺りが揺らぎだした。

 衆院2階の廊下から目の前の民主党国対の部屋に飛び込むと、床に書類が散らかり、職員たちが椅子から立ち上がっている。

 のちに東日本大震災と呼ばれるようになる歴史のページがめくられた。

 衆院と参院それぞれの中庭に池がある。津波を暗示するように水面が波打ち、水があふれ出していた。

 天井を見上げると、シャンデリアがぶら下がった根元に亀裂が走っている。けが人が出ないよう、誰かがその下に立ち入り禁止の赤いコーンを持ってきた。小さいほうの記者室も、資料が散乱している。

「何か起きたらまず写真を」は新聞記者の基本動作だ。衆院と参院を行ったり来たりしながら、目につく端からスマートフォンで撮っていった。

 読売新聞の国対番にあきれられた。

「こんなの撮ったって紙面で使われないよ。ここでこんなに揺れてるんだから、震源近くはもっとすごいことになっている」

 その一言でようやく我に返った。建物の屋上で救助を待つ人々、津波から逃げ惑う人々。まもなくテレビにはそんな姿が映し出されることになる。

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