そのためにどうしたらいいか。このところ、どんな本から読んでいくかで少々悩んでいた。
興味を引かれたものからというのではきりがない。かといって、分野を絞ると、あちこちで読んだことを突き合わせる相乗効果が期待できなくなる。
結局、「小難しい本から読む」と決めた。
頭にかすみがかかったように本に集中できず、読んでも2、3ページどまりという1年数カ月前の状態に戻らないとも限らない。そのとき、小難しい本をベッド側に持ちこもうとはしないだろう。そこから手をつけ、小難しいことを考える。「歩けるうちに」と同じ発想だ。
人付き合いも同じだ。
私は記者なのに人見知りするたちで、付き合いを広げるのもおっくうに感じるほうだ。優秀な同僚のように「人脈」を次々開拓することができない。体調が悪くなれば、いっそうその傾向が強まるだろう。
ならば今のうちだ。もっぱら原稿を書くのに使ってきたスマートフォンで、SNSを通じて人と接する機会が増えた。
仙台市内の高校に進学する女子生徒、配偶者を病気で亡くした女性、予備校の先生。ほんのあいさつ程度から数往復にわたる意見交換まで様々ながら、いずれも10日ほどの間にやりとりした方々だ。スピッツの名曲「チェリー」ではないが、人の出入りは想像以上に騒がしい。
取材とは言えないものの、病気になったことで世界が広がった。やがてコラムの中身にも影響が出るだろうと思うと、不思議というほかない。
SNSで出会うのは言葉だけとは限らない。先日は1本の動画にひかれ、製作した男性に作り方を習った。コンタクトをとってからこの連載のPR動画を手始めに完成させるまでわずか数日。素早い、とコメントした知人にこう返した。「時間に限りがあることを知れば、誰だって腰が軽くなる」
ところで、春は人事の季節だ。折り合いの悪い2人のさや当てや上司への売り込みなど、自分と無関係な組織のうわさ話も耳に入る。花と違って時間に限りがあるのに、と思わなくもないが、そうして花開こうとせずにはいられないのが人間なのかもしれない。