安倍首相は、妻をコントロールできてない、などという意見も聞いたことがあります。コントロールって、何でしょう?
家庭の事情で仕事に影響を出してしまったとき、上司に「家庭もコントロールできない男が、部下をコントロールできると思っているか?」と叱責されたのは昭和のモーレツ社員の時代ではないでしょうか。今、上司がそんなことを言ったら、いろんな意味で火だるまになりかねません。
上司なら、部下を掌握するということはもちろん必要ですが夫婦も同じことが言えるのか、となると話は全然違います。
そもそも夫婦は、会社が従業員にするような「指示‐被指示」の関係性なのでしょうか?
明治憲法の下では、課長ならぬ家長がさまざまなことに指揮権を持っていましたが、現憲法下では民主的な家族像を前提にしているので、家族は平等です。
私たちは民主主義というのは、学級会議で議題を挙げて最後は多数決できめることだ、と小学校の時から刷り込まれてきたように思います。ところが、大人になるにつれて、議論をしても自分のもともとの意見・立場から宗旨変えをする人は実はほとんどいないという人間界の真実に気づいてしまいます。となると、最悪なのは、2人の構成員による民主主義です。議論しても平行線ですし、構成員が2人なので多数決も意味を持ちません。それが夫婦です。
その最悪な状況で、話をまとめるための世間的な方法は、「取引」と「支配」です。
取引は、自分は相手のためにこういう負担をするから、あなたは自分のためにこういう負担をしてよ、という合意に持っていくことです。「1日8時間会社のために働けば給料○○円を払う」というような合意です。
これに長けている人は、夫婦の問題を「落とし所を探す」課題としてとらえます。
康則さん(仮名)は、「落とし所が見つからない」と言って相談においでになりました。もともとお酒が好きな上、営業職なので、どうしても接待などで宴席が多くなります。少ない時でも週3回、多ければ毎日です。2人目の子が生まれて手いっぱいになった妻がついにキレました。康則さんは営業職なので、いってみればお客さんの落とし所を見つけるのが仕事ともいえるわけで、そこに才能と自負があり、この妻のクレームも同じようにとらえています。