命を救うのが医師の仕事である一方で、「命の終わり」を提示するのも医師の務め――。救急や外科手術、がんやホスピスなど死に直面することが避けられない現場で日々診療を行っている医師20人に、医療ジャーナリストの梶葉子がインタビューした『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』(朝日新聞出版)。その中から、NHK人気医療番組「総合診療医 ドクターG」でも知られ、大学病院の教授職を辞して八ヶ岳の山々を望む信州の地に移った、諏訪中央病院総合内科・山中克郎医師の「死生観」を紹介する。
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僕は、「おじいちゃん子」だったんです。四日市で開業していた母方の祖父が大好きで、よく遊びに行っていました。患者さんがいない時に診察室に入り込むと、病院独特のフェノールのにおいがして。そのにおいがとても好きでね。白い洗面器に消毒液が入っていて、そこで手を洗って脇に下がっているタオルで拭く、そんな時代ですよ。
診察室の隣には、祖母が調剤をする調剤室がありました。子どもの手の届かない、高い棚に置かれたガラスの容器にはドクロのマークが付いていて、劇薬と書いてある。あれを飲むと死んじゃうんだ、なんて思って、ゾクゾクしていた覚えがあります。
人生で初めて人の死というものを実感したのは、大学2年生の時。予備校時代にとても仲が良かった先輩がいて、医学部を目指して一緒に勉強し、別々の大学に入ったんですが、彼が突然の事故で亡くなってしまった。その時、人間というものは簡単に死んでしまうんだな、と、つくづく感じたんです。
そんなことも影響したのか、医学部で色々な病気の勉強をしながら、自分もいつかこのどれかにかかるかもしれない、長生きできないかもしれない、と思っていました。だからこそ必死で勉強しよう、自分がやりたいことを追求しなければ、なんて考えながらの学生時代。ちょっと陰気な若者でしたね。
■治療を重ねても亡くなっていく白血病患者への無力感