初期研修を修了して最初に入ったのは血液内科です。高校時代に見た、山口百恵さん演じる主人公が白血病になってしまう、というドラマの影響があったのかもしれません。
実際に血液内科医になってみると、当時はあまり良い治療方法がなかったこともあって、化学療法でせっかく寛解しても、結局、1~2年以内にみんな再発してしまうんです。再治療をしてもすぐに悪くなって、若い男女でもどんどん亡くなっていく。
懸命に治療をしているのに、来る日も来る日もそういう状況が続くと疲れてきて。3年目くらいには、結果的に亡くなってしまうなら自分が何をやっても無力なのではないか、という想いにとらわれて、うつ状態のようになってましたね。もう、いやだ!って。
亡くなった患者さんで、どうしても忘れられない人がいます。血液内科医になって間もない頃ですが、20代後半という年齢も、お互いの子どもの年も、ちょうど同じくらいだったんですよ。白血病の中でも非常に悪いタイプで、診断がついて半年以内に骨髄移植をしたんですが、骨髄がうまく着かなかった。彼が亡くなった時には、涙が止まらなくなってしまってね。上司に「今日はもう、帰っていいよ」と言われたほどです。
あれから約30年経ちますが、彼の名前も亡くなる時の状況も、はっきり覚えてますね。総合診療という言葉を初めて知ったのは、国立名古屋病院に勤務していた時。突然、上司に呼ばれて、総合診療の勉強をしに1年間アメリカに行かないか、と言われたんです。急な話で、当時は総合診療がどういうものかも知らなかったけれど、血液内科だけで終わりたくはなかったし、なんだか面白そうだし、行くか、と。
UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)での1年間で、人生が180度変わりました。内科の奥深さ、総合診療のドクターたちの幅広く深い知識。衝撃でしたね。ただ、日本ではまだ総合診療というものが知られておらず、帰国後は苦労しました。色々と試行錯誤して、結局、救急室での診療に落ち着いたという経緯があります。