その後、中日は5回に大島康徳の中越えソロで先制したものの、6回以降、杉本正、東尾修のリレーの前に追加点を挙げることができず、1対3と逆転負け。1日置いて地元・名古屋で行われた第6戦にも4対9で敗れ、28年ぶりの日本一を逃す結果に。中日ファンは「第5戦のあれさえなければ……」と悔やみに悔やんだ。

 まさにシリーズの流れを変えた“一塁線の石ころ”だった。

 ホームランを打った選手をナインがハイタッチで出迎えるのはすっかりおなじみの光景だが、このハイタッチが思わぬ悲劇を生んだのが、1989年9月25日のダイエーvsオリックス(西宮)。0対4とリードされたオリックスは3回、3番・門田博光が31号ソロを放ち、反撃の狼煙。ゆっくりとダイヤモンドを1周した門田はナインの出迎えを受けたが、右手を挙げたブーマーとハイタッチを交わした際に、「ウーッ」とうめきながら右肩を押さえると、ベンチ前でうずくまってしまった。

 ブーマーの手と合わさった瞬間、はずみで右肩関節が外れてしまったのだ。

 実は、門田は南海時代の1984年4月14日の日本ハム戦(大阪)でもホームランを打った際のハイタッチで右肩を痛めており(奇しくも、この試合も0対4からのソロ本塁打だった)、この一件以来、南海では強いタッチを禁止していたのだが、移籍1年目のオリックスでは脱臼癖の情報がきちんと伝わっていなかったようで、5年前の悪夢再現…。期せずして門田の右肩関節を外してしまう形になった形のブーマーもひどく落ち込んでしまい、このショックが尾を引いたオリックスは1対9と大敗してしまった。

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大きすぎた”ハイタッチ”の代償