働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
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体重計に乗ったのは気まぐれだった。冬季五輪で2連覇した羽生結弦選手の演技に「あの細い体のどこにそんな力が」と月並みな感想を持ち、彼と自分の体重を比べてみようと考えたのだ。
表示は45.4キロ。一時80キロを超えた体重が、がんで35キロも減った。身長172センチ、57キロの羽生選手に比べると、身長は2センチ低いものの、体重が12キロも少ないのは予想外だった。
それならば、と女子の荒川静香さんを調べることにした。背中をそり返らせた「イナバウアー」で金メダルを取るトリノ大会の9年前。新聞記者になって2年目の1997年冬に、長野大会に高校1年生で出場する彼女を取材したことがあった。当時164センチ、50キロ。私は女子高生にも届かなかった。
フィギュア選手の体重は、旧共産国では厳しく管理された。国際舞台で活躍させ、国威発揚に利用するためだ。美しいかどうかは見る側が決める。そんな競技の帰結ともいえた。
私にとってフィギュアといえば今も、旧東ドイツ出身のカタリナ・ビット選手だ。84年サラエボ、88年カルガリーの両大会を連覇。深紅のバラを思わせる衣装をまとい、歌劇「カルメン」の曲で舞ったカルガリー大会は歴史的名演と語り継がれる。
東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊後の94年。リレハンメル大会には歌劇から一転、反戦歌「花はどこへいった」で出場した。国の道具だった過去と決別し、新たな世界で生きる、との決意がにじんだ。
美しさに理由はいらないのかもしれない。だが、彼女が背負った重い歴史を思うとき、その美しさはより際立って感じられる。人の苦難さえ、美しさの一部とみなし、「消費」する。自分はなんと身勝手か。
思い出すのは、初任地の仙台時代、とある展覧会の記事をめぐってデスクと意見が割れたことだ。少しだけ作品に興味を示しているおばあさんと、無表情な若い女性。どちらが映った写真を添えるか。「読者はこっちを見たいもんなんだ。記者なのにわからないのか」。デスクが選んだのは、若い女性のほうだった。