私が年に何回か休日出勤すると、たいてい彼は会社にいました。彼曰く
「パチンコに行けば金かかるけど、会社にいれば金かからんだろ」
だそうです。彼にとっては、会社は家よりも居心地がよく、パチンコ屋のようにお金がかからないどころか、ただでお茶が飲めてテレビも見れる理想的な「居場所」だったのです。
人には、自分の「居場所」が少なくとも1つ必要です。働き方改革は、職場はあなたの「居場所」ではないですよ、ということを突きつけました。もともと職場以外にも居場所があった人はいいですが、ほかに居場所がなかった人にとっては居場所を追い出されてしまったわけです。
子育て中の妻に帰宅恐怖がほとんどないのはそう考えるとうなづけます。多くの場合、子どもとの関係にある程度は居場所感を持てるからです。
究極の自分の居場所は、心理的にひきこもることです。ひきこもると言っても部屋に引きこもっているだけが引きこもりではありません。嫌なことがあった時、気持ち的に仕事に引きこもった経験のある人は少なくないのではないでしょうか。これは外からは仕事に集中しているようにしか見えないけど、心理的な引きこもりです。フラリーマンの暇つぶしも引きこもりですし、場合によっては、ワンオペ育児も引きこもり的な側面があります。
ワンオペで大変な育児、(妻から見れば)役に立たない夫、そんな中で妻は育児に引きこもり、結果、家庭に居場所がない夫はファミレスでひきこもる、という構図です。
人には、自分自身を癒す時間がある程度必要です。それを確実にできる方法の一つがひきこもりなので、ひきこもりがダメなこと、とは私は思いません。問題があるとすれば、自分の居場所が引きこもりだけでいいのか、それが悪循環になっていないか、ということです。
■居場所を作る求心力
居場所はどうしたら作れるのでしょう?
女性からも自分の「居場所がない」という直接的な訴えもそこそこあります。夫や生活になにか不満があるわけではないし、もちろん自室が欲しいということでもありません。夫とは日常的なコミュニケーションはとれるけど、気持ちが「つながっている感じがしない」というのです。