吉村氏を中心とした当時の厚生官僚は、医療費亡国論という論説に基づき、当時の中曽根内閣の増税なき財政再建路線、82年の武見太郎氏退陣による日本医師会の影響力低下などもあり、公的保険医療政策を医療費抑制方針に転換させました。医療費を減らすには医師数を増やしてはいけないと考え、84年以降、医学部の定員を最大時に比べて7%削減したのです。その後、95年村山内閣の高齢社会対策基本法制定、97年の医学部定員の削減に関する閣議決定、2001年から小泉内閣によって実施された骨太の方針へと繫がっていきます。

 この間、将来の医師不足は議論されず、医学部定員を増やすことはありませんでした。

 ですが、学問は日進月歩であり、医療経済学分野でも、さまざまなグループにより医師誘発需要説についての追加研究が行われました。

 1990年以降に米国や北欧で行われた全ての実証研究は「医師数を増やしても医療費は増加しない」と医師誘発需要説を否定しています。

 情報工学の発達や米国医療界における情報開示が促進されたため、医療経済研究者の多くは、90年以降の研究は、それ以前のものと比較してはるかに信頼できると考えています。

 新しい研究の結果に基づけば、一部の医師は自らの収入を増やすため不要な医療行為を行うが、その絶対数は少なく、国家レベルでは問題にならない、および、医療では医師と患者の間に情報の非対称が存在しても、患者の医療知識が増加するにつれ、医師が医療サービスを100%決定できず、患者の決定権が大きくなっていくと考えられます。

 現在では、医師の一人あたりの稼ぎを根拠にする医師誘発需要説は暴論である、という考え方が主流になったのです。

※『病院は東京から破綻する』から抜粋

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