選挙戦も残り1週間を切った。解散から公示までの小池旋風の動きがあまりに激しかったので、ちょっとやそっとのニュースには驚かなくなってしまった。何しろ、前日に大ニュースになったことも翌日「リセット」の一言でなかったことになる。政治家の言葉をまじめに聞いているのが馬鹿らしい。どうしてこんなことになってしまったのだろうとつくづく思う。
そんな折、東京新聞社会部望月衣塑子氏の『新聞記者』(角川新書、10月12日発売)を読んだ。望月氏は、社会部の記者ながら、菅義偉官房長官の記者会見に参加して菅氏に「しつこく」質問を続けた。これによって、政府の説明の矛盾や不透明性が広く国民に伝えられることになった。この本には、いかに現在の大手メディアの記者たちが、本来のジャーナリストとしての倫理観を失い、その責任を放棄しているのか、そして記者クラブがどこまで腐敗しているのかが生々しく描かれている。
安倍政権とマスコミの関係については、私も3年前から様々な形で指摘してきた。テレビ朝日「報道ステーション」で官邸によるマスコミ弾圧を告発したのもその一つだ。それをきっかけに、日本の報道の自由の危機という問題は、国内だけでなく世界中で議論された。
実は、私は、安倍政権批判を展開しつつも、非があるのは安倍政権だけではないと考えている。むしろ、マスコミの方にこそ大きな問題があると言った方が良いかもしれない。そこには、日本の大手メディアの、「権力に弱い」、あるいは「権力に迎合したがる」という問題がある。
しかし、それ以上に、そもそも「真実を伝えない」、さらには「フェイクニュースで商売をする」という、より深刻な問題が横たわっているのではないか。そのことを、小池百合子氏にまつわる報道とそれが選挙戦に与える深刻な歪みという観点から考えてみたい。