一時期ネット上では「SEALDsは就職できない」という情報が駆け巡った。しかし、元SEALDsメンバーの諏訪原健氏は、そんな批判を目にする度に「SEALDsって何なの?」と疑問を持ってしまうという。
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新年度が始まって、もう2週間が経とうとしている。僕自身は3月31日までと同じ研究室の同じ机に座っているので、そんなに特別な感じはしないのだけど、何だか理由もなく慌ただしい。周りの友人を見ていても、環境が大きく変わった人がたくさんいる。それはSEALDs関係の知り合いにしてもそうだ。
一時期ネット上では「SEALDsは就職できない」みたいなことを言われていたが、僕の知る限り、みんなそれぞれにうまくやっている。
そういう非難を浴びせる人って何がしたいんだろうなーと思ってしまう。
「SEALDs」とひとくくりにして非難する言葉を目にするたびに、そもそもあなたが言っている「SEALDs」って何なの?誰なの?って疑問に思う。SEALDsって別に会員制でもないし、実際のところ、僕にも誰がSEALDsなのか、よくわからない。今の政治に危機感を覚えて、緊急的に片手間で集まって、ちゃんと意見していきましょうってくらいのゆるーいネットワークのはずだ。当然、政治活動が本業の人なんていないので、みんな他の立場を持った上で関わっている。
それなのにいつもいつも「SEALDs」って、まるで種族の名前か何かのように言われることには、正直違和感がある。僕が今書いている原稿も「元SEALDs」として公開されることになると思うんだけど、何か到底自分の手には負えないものが、気付いたら後ろにくっついているみたいで、何だか気持ち悪い。
僕の意見は、僕の意見でしかない。でも多くの僕のことをよく知らない人は、「元SEALDs」の意見として読むんだと思う。いつまでこの看板を背負うことになるんだろうなんて思う事もある。
僕らが2015年の夏、いやそのもっと前からやってきたことって、ひとくくりにして「SEALDs」と呼ぶみたいなこととは、真逆のことだったと思っている。世の中には「若者」とか、「学生」とか、「労働者」とか、「子育て世代」とか、何でもいいけどいろんな立場がある。その立場に拘束されていると、ついついポジショントークをしてしまうかもしれないんだけど、そういうのは一旦置いておいて、自分自身が今の社会についてどう思うのかを話してみようってことが大事だったんだと感じている。