「若者」とか「学生」って言っても、それぞれに置かれている状況も、見えている世界も全然違う。だからこそ、自分自身の言葉で語らないとわかってもらえないことってたくさんあるはずだ。無数に存在する「私」の声を、ぶつけ合って、練りあわせて、「公」の決定として取りまとめていく。それが政治なんだと思う。「国政」とか「安保法制」と言うと何だか大げさな感じがするけど、それって日常の中で当たり前にやっていることと何ら変わらないはずだ。

 この前、仲の良い友達3人と夜ご飯を食べに行った。友人Aは「二郎系ラーメンを食べに行こう」と言ってきた。僕は割とお腹が弱くて、その日もお腹がギュルギュルと悲鳴をあげていたので、「お腹がやばいから、もうちょい軽いもので頼む!」と言ってみた。でも友人Aはどうしてもラーメンが食べたいらしい。僕よりラーメンのほうが大事みたいだ。そこで友人Bが「軽いラーメンでいいんじゃね?」と新しい案を出してきた。結局それでまとまって、中華そばメインのお店に入る事にした。これってよくありそう?な風景だけど、まさに政治だ。

 高校時代、ふとしたことから生徒会長をやる事になった。当時問題意識を覚えたのが、頭髪服装検査。髪が耳にかかっていないかとか、制服の裾が1mmでも地面についていないかとか、そういうこと検査するのにたいそうな手間をかける。ちなみに検査に引っ掛かると罰則が課せられる。僕からしたら検査自体が時間の無駄だった。だいたい頭髪とか服装とかちゃんとしましょうっていうのは、社会に出た時に支障がないようにみたいな教育的な意図があるんだろうけど、そういうことをすっ飛ばして検査だけやっても、明確な基準も罰則もない社会に出た時には意味がないじゃないか。そんなことを思って、生徒総会の議題にしたり、生徒指導の先生と意見を戦わせたりして、検査のあり方を変えようとした。それで検査の仕方が少しだけ変わることになった。まぁ僕が生徒会長の間だけだったんだけど。こっちはよくありそうな風景じゃないかもしれないけど、まさに政治だ。

 私たちは日々いろんな場面で意見をすり合わせて、その社会における答えを作り出している。別にあえて「政治」と呼ばなくても、私たちは政治に囲まれて暮らしているのだ。それなのに、政治活動をやったら就職に差し障りがあるとか言われるような社会って健全じゃないと思う。政治に関わることを特別視する必要って全然ない。ポジショントークをして、何か言った気にならないで、自分自身の考えを表明したら良い。別に政治の専門家じゃなくても、片手間でもいいんだ。いやむしろそんなあなたの意見こそ重要なんだ、と僕は思っている。(諏訪原健)

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諏訪原健

諏訪原健

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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