旅行者たちは、どう、空港での強制両替をすり抜けるか……と知恵を絞った。到着したらトイレに2時間ほど隠れ、強制両替を受けもつ職員がいなくなるのを見計らって空港を出るという方法も、旅行者の口づてに伝わってきた。僕もトライしたことがあったが、職員が笑顔で待っていた。

 かつて民主化運動にかかわったミャンマー人の知人、そして日本に行くミャンマー人女性の3人で空港の喫茶店で待ち続けたこともあった。待っていたのは、ビザがおされた女性のパスポートだった。おそらく裏で手をまわしたのだろう。パスポートが届けば、僕が東京まで同伴することになっていた。

 3時間ほど待ち続けただろうか。パスポートは届かず、チェックインの締め切り時刻が近づいてきてしまった。僕はひとりで日本に戻った。

 軍事政権時代、ヤンゴン空港は、開かれた世界に出る唯一の脱出口だったのだ。

 半年後、その女性はひとりで日本にやってきた。会うとバッグのなかから30個ほどの宝石をとり出した。秘密裏にもってきたらしい。これを売って生活費にあてたい……といわれ、困ってしまった記憶がある。

 久しぶりにヤンゴン空港に降りた。空港は明るくなり、昔のような人生を賭けたミャンマー人の切実な顔を見ることもなくなった。アジアのどこにでもある空港。やっとそんなにおいがするようになった。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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