当時の合物協会の会長が、工場などで各種工業部品を運ぶために使われていた運搬車(ターレのこと)の存在を知り、これを築地市場でも使えないものかと思案。その当時、富士重工の代理店を営んでいた榊さんに声がかかり、ターレの導入が始まったという。こうして導入されたターレは、またたく間に場内に広まっていった。
導入初期、ターレには複数の名称があり、富士重工業の「モートラック」と富士自動車の「ターレットトラック」が2大ブランドだった。その後まもなく、円筒形の動力部分(ターレット)の呼称がそのままこの運搬車の呼び名となり、現在ではほとんどの人が「ターレ」と呼んでいる。
その後、朝霞製作所が「ターレットトラック」の販売権と特許などすべてを含む事業譲渡を受けるも倒産。また、ニチユ三菱フォークリフト(以下ニチユ)が「エレトラック」の名称で、関東機械センター(以下関東機械)が「マイテーカー」の名称でそれぞれ自社のターレを導入。現在は、ニチユと関東機械の2社が、築地市場を走るターレのほぼ全てを占めている。
ガソリン車から電動車へと移り変わった歴史もある。およそ20年前に電動ターレが登場し、徐々に電動車への移行が進み、2006年前後にはほとんどのターレが電動車となった。ターレは買い取りではなく、リース契約で使用されている。現在、榊オートが抱えるターレは約780台。そのうち11台がガソリン車だ。
榊オートのターレのリース先は、水産部門のみ。築地市場の青果部門を走るターレは、別の業者が管轄している。なにか縄張りのようなものがあったからなのかと聞いてみると、そういうわけではないと榊さんは首を横に振った。
「私はもともと漁師だったんですよ。だから、水産のほうが、考えが合うんです。漁師はその日その場で結論を出す。農家は熟考する。どっちがいいって話をしているわけではありません。ただ、自分は漁師だったから、やっぱり(水産部門のほうが相性がいい)」
榊さんはまた、毎日魚が食べられることが幸せだとも話していた。機械を取り扱う仕事とはいえ、榊さんにとっては、魚あってのターレなのだ。
榊オートの建屋は、波除神社のすぐ脇に、ひっそりと構えている。各フロアが30平米ほどの2階建で、1階が整備工場、2階が事務所となっている。整備工場の中には、事務机が二つと、さまざまな部品が整理して収められた棚が並ぶ。ターレの整備は建屋周辺の屋外で行われていた。