常に前祭りの最後尾を巡行する船鉾
常に前祭りの最後尾を巡行する船鉾
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八坂神社
八坂神社

 日本三大祭のひとつである京都の「祇園祭」(ほかの2つは大阪「天神祭」東京「神田祭」)は長い歴史を持っている。途中いく度かの中断はあったが、1000年以上も続く日本でも数少ない祭りのひとつである。その規模も半端ではない。祭の期間が1カ月、京都の中心部である四条河原通り一帯の道路を封鎖してまで行われている。

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 東京でイメージするならば、銀座・新橋・六本木までの幹線道路のど真ん中に、お祭りの鉾や山を組み上げて、通行止めにしているようなものだ(もちろん1カ月の間、ずっと封鎖されているわけではないが)。

●厄難・疫病除け祈願からはじまったお祭り

 祇園祭は、四条通りの東端に位置する八坂神社の夏のお祭りである。お祭りのメインである山鉾巡行が、7月17日(前祭)と7月24日(後祭)に行われるのだが、このほかにも多くの行事が広い範囲で執り行われる。

 八坂神社は、明治時代に入るまで、祇園社あるいは感神院と呼ばれる神仏混交のお社だった。現在の主祭神はスサノオノミコト(伊勢神さま・天照大神の弟神)となっているが、長く牛頭天王(ごずてんのう・釈迦(しゃか)が説法を行ったと言われる祇園精舎の守護神)として信仰されていた。のっけから難しい話をしてしまったが、つまりは仏教も神道も併せ持ったお祭りというわけである。

 祇園祭は、平安時代の初期に疫病の流行を抑えるため、神泉苑で御霊会を行ったことに始まる。しかし、その後も地震や疫病が発生し、国内が混乱に陥ったことから、当時の国の数・66本の矛(ほこ)を立て、穢れを祓い牛頭天王を祭ることになる。神話の時代から、矛は神の用いる武器であり、道具でもあったことから神事では古来よく使われている。

 この神事を原型として、以来1000年以上、現代へと引き継がれているのだ。

●山鉾それぞれに御利益がある

 京都の人々は昼間の山鉾巡行よりも、前日の夜(宵山)や前々日(宵々山)の風景の方を好むのだそうだ。町内ごとに置かれた鉾や山の駒形提灯に火が入り、お囃子が鳴り響く。また、1年間この日のために町内の蔵で大事に保管されてきた胴懸(タペストリー)や隅金具などが展示される鉾建ての時も大事な交流期である。

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