33ある山鉾は、それぞれ別のご神体が祀られているため御利益も違う。例えば有名な長刀鉾は疫病除けの御利益。黒主山は魔除け、盗難除けと言った具合だ。なお、「山鉾」と通常まとめて呼ばれているが、山と鉾、そして傘は形のまったく異なる山車(だし)である。これらの個性ある山鉾と同様、町内ごとにオリジナルの御朱印や粽(ちまき・茅の輪にちなんだ縁起物。もちろん「蘇民将来子孫也」の文字が。詳しくは前稿「おいしい和菓子で魔除けもOK 夏越の祓とはどんな行事?」を参照)が授与されているほか、てぬぐい、お守り、ストラップなどさまざまなグッズが販売されている。
また、宵山ではだれでも鉾の上に上がることもできる(どこも有料だが…)。ただし、祇園祭の中でも特に別格の長刀鉾だけは、女人禁制である。
●150年ぶりに復活した大船鉾
2016年現在、祇園祭では八坂神社の3基の神輿、33の山鉾が京の町を巡行し、地元の人のみならず、世界中から集まる観光客を楽しませている。「京都祇園祭の山鉾行事」は2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されているのだが、この当時の祇園祭には後祭はなかった。1966年にそれまで長年、別々だった前祭と後祭はさまざまな理由から、合併され17日の1回のみとなったのである。この時、町内会ごとに引き継がれてきた高価な装飾品や伝統のお囃子を守り続けてきた人たちの思いはいかばかりだっただろう。
だが、その後49年の時を経て2014年に後祭が復活。これに合わせて四条町大船鉾も150年ぶりに巡行を再開することとなった。
平安時代から現在までの間に、京都の街は応仁の乱など度重なる大火で焼かれており、その都度、祇園祭の山鉾なども被害を受けている。大船鉾も幕末1864年の禁門の変で多くの部分が焼失しており、長い間巡行には参加できなかった。
それを地元の町衆と、祇園祭の伝統を大切に思う人々の努力と熱意で、再び巡行ができるまでの形に持ってくることができた。
半世紀を待った復活から、今年3年目を迎えた後祭のクライマックス・山鉾巡行は24日である。「喧騒に囲まれた前祭よりも後祭のほうが昔ながらの風情がある」と京都人のいう宵山・宵々山を、今度は一度ゆったりと楽しんでみたいと思う。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)