当時の日本女子ダブルスは厳しい戦いが繰り広げられていた。12年ロンドン五輪へ向けては、北京五輪4位の末綱聡子/前田美順と藤井瑞希/垣岩令佳、松尾静香/内藤真美の3組が競り合い、最終的には3組すべてが最大枠2に入れる世界ランキング8位以内にいて、最終戦で6位を維持した末綱/前田が僅かな得点差で7位の松尾/内藤を抑えて2枠目を確保するという熾烈な戦いを繰り広げた。その中でふたりはランキング20位と、4番手の位置から抜け出せなかった。

 だがロンドン五輪が終わるとそんな重りも取り払われたかのように、一気に結果を出し始めた。スーパーシリーズに次ぐカテゴリーのグランプリゴールドで2勝すると、10月のスーパーシリーズ・デンマークオープンではロンドン五輪金の中国ペアを準決勝で破って2位になり、12月末にはランキングを7位まであげた。

 高橋は「ずっと松友がゲームを作るから、それをカバーすればいいと思っていた。でも混合ダブルスもやるようになってレシーブにも自信を持てるようになったので、レシーブから攻撃に持っていくパターンも作れるようになった」と言う。球筋を見極めて考える能力が高く、前衛でゲームを作れる松友のセンスとプレーの幅が広がった高橋のパワーがうまくマッチし、粘りきるプレースタイルが確立し始めた。それが14年のジャパンオープンやスーパーシリーズファイナルの日本人初優勝につながり、15年4月にはインドオープンで優勝。とうとう世界ランキング1位にまで登り詰めたのだ。

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