2012年ロンドン五輪の女子48㎏級では、トータル197㎏の日本記録を樹立して銀メダルを獲得したウエイトリフティングの三宅宏実。その後、競技続行を決めてからこう語った。「ロンドン五輪出場が決まってから、『もう一度、一からやりたいな』という気持がありました。次のリオ五輪というのを考えるのではなく、ただ続けたいという思いで…。『もう少し重量挙げをやりたい。もっと技術を磨きたい』というのが、今の私の中では一番の目標になっています」
父親の義行さんは1968年メキシコ五輪フェザー級の銅メダリスト、伯父の義信さんは64年東京五輪とメキシコ五輪のフェザー級を2大会連続で制した名選手。小さいころはウエイトリフティングにも特別興味を持たなかったが、中3の時にあったシドニー五輪で、初めて正式種目になった女子の競技を観て体の中にあった血が騒ぎ始めた。
父親の指導で競技を始め、4年目で出場した04年アテネ五輪は9位。06年の世界選手権で3位になり、メダル獲得を意識して臨んだ08年北京五輪は6位だった。「北京はケガがなかなか治らなくて思うような練習が出来ず、自分の力の70~80%しか出せなかった大会なのでものすごく辛かった。でもロンドンはしっかり体調管理もうまくでき、十分な練習を積むことが出来たので…」
ロンドンでは納得できる結果を出せたからこそ、もっと突き詰められるものがあると感じたのだ。「最高のパフォーマンスが出来たのが1回だけあるんです。11年の全日本選手権53㎏級で、スナッチ90㎏、クリーン&ジャーク117㎏で、トータル207㎏の日本記録を挙げられた時。重さを感じなかったし、バーベルがどういうコースを通ったのかもスローモーションのようにわかったんです。その感覚は体も知っているけど、体の骨格や筋肉は日々全部が変わってくるので…。その時のフォームに戻すというより、今の自分に合った新しいフォームを身につけて、同じような感覚を再現したいんです」