5月8日からは東京・両国国技館で夏場所がはじまる。実は相撲は、神社仏閣とは切ってもきれない関係があるのだ。夏場所開催を機にこれらを整理してみたい。
日本で相撲(といわれるもの)をはじめて取ったのは、神さま同士である。一方は地震を抑える神さまでもあるタケミカヅチ、もう一方は諏訪の神さまであるタケミナカタである。この時の出来事は古事記に描かれているが、これが元でタケミナカタは諏訪の神さまとならざるをえなくなるわけだが、この話はまたの機会にゆずろう。
時代は下り、弥生時代の頃、人間としてはじめて相撲を取ったと言われているのが、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)である。前者は出雲、後者は大和の人間である。勝ったのは野見宿禰で、以来、彼は相撲の神さまとしてあがめられている。東京には相撲協会が管理する野見宿禰神社もあり、今でも東京で行われる本場所前には、出雲大社東京分祠の神主の手により例祭が執り行われている。
こちらの境内には、歴代横綱の碑が2基設置されていて、古い方には初代・明石志賀之助から46代・朝潮太郎までが、新しい方には47代・柏戸剛から71代・鶴竜力三郎までの名前が刻まれている(新しいほうがかなり大きい!)。私が訪ねた日は、平日で場所にもまったく関係ない日だったのだが、やっぱり相撲女子に何人も出会ってしまった。
この昨今の相撲人気の高まりとともに、昨年(2015年)には、本家・出雲大社の境内にも野見宿禰神社が創建されている。
平安時代になると、相撲は天皇の御前で開く行事となったり、豊作を祈願して神事として奉納されるようになる。この形は長く続き、戦国時代頃には土俵という形が形成されていった。そして江戸時代、寺社の修理や増築などの費用調達のため、境内で「勧進相撲」が興行されるようになるのだが、これが今の大相撲の原型といってよい。
このような背景をもつため、今なお、横綱が神社の境内で奉納土俵入りを行ったり、子ども相撲がお寺の境内などで開催されていたりするのだ。
東京都内には、この勧進相撲を行っていた寺社としてその名残を残すところが少なくない。