デグラシアさんの義兄は横井さんが日本兵だと認識すると、素手で殴りつけて失神させ、殺意に満ちた恐ろしい形相で銃口を向けたという。
その様子を見て驚いたデグラシアさんは、大声でこう叫んだ。
「やめろ!」
一緒にいた息子とともに羽交い締めにして制止しようとしたが、義兄はそれを振り切ってなお、引き金を引こうとした。デグラシアさんは再び叫んだ。
「彼を殺してしまったら、われわれも殺人者になってしまう!」
その言葉を聞いた義兄は我に返り、横井さんの射殺を思いとどまったという。
ここまで横井さんに憎しみをぶつけた理由は何だったのか。残念ながら、義兄は7年前に亡くなったが、デグラシアさんがその心境をこう代弁した。
●肉親を殺害した日本兵への恨み
「実は義兄は日本兵をひどく恨んでいた。1950年にジャングルに潜んでいた残留日本兵に弟と甥を殺されていたんです。殺され方もあまりに無残だった。銃殺されたり、ナタのような刃物で切り殺された。肉親を奪われた義兄の怒りはすさまじく、『絶対に犯人を捜し出してやる』とよく言っていたものです。それに2人の遺体は、横井さんを発見した場所の近くで見つかっていたんです」
事実、横井さんが“容疑者”として疑われていたフシもある。
グアムの警察当局は発見当初、横井さんが先の2人を殺害した可能性が否定できないとみていたようだ。殺人事件の再捜査を求めるか否か、警察はデグラシアさんの義母に問うてきたというのだ。
これに対して、義母は警察の申し出を断ったうえでこう語ったという。
「遺体となってしまったが、子供は私のもとに帰ってきた。すでに犯人は許していますので、捜査をやり直す必要はありません」
義母はカトリック信者として、残留日本兵もまた戦争の被害者で、責めることはできないという慈悲の精神を持っていた--デグラシアさんは義母の心情を代弁している。
「日本兵も被害者」。日本兵に子供を殺された母親にそう言わせたグアム島の戦争とは、そもそもどんなものだったのか。