終戦を知らないまま、グアム島に28年間も潜伏し、奇跡的な生還を果たした元日本兵・横井庄一さん(享年82)が生誕して100年。週刊朝日では、現地で横井さんを発見した男性を07年8月に取材している。その際にこの男性は、これまで語られなかった“新事実”を明かしていた。年老いた証言者が見た光景とは--。(週刊朝日2007年8月24日号に掲載した記事をニュースサイト「dot.」編集部が再編集しました。年齢は07年8月当時)
「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」
1972年、28年ぶりに祖国の土を踏んだ元日本兵・横井庄一さんが発した第一声は、あまりにも有名である。
太平洋戦争の記憶が薄らぎつつあった時代に、日本社会に衝撃を与えた奇跡の生還劇。横井さんが亡くなって10年目の7月末、本誌は横井さんの発見者であるマニュエル・デグラシア氏(74)をグアム島に訪ねて、あらためて発見当時の状況を語ってもらった--。
1972年1月24日、グアム島南部のタロホホ村に住むデグラシアさんは、義兄と2人の息子と一緒に、タロホホ川付近のジャングルへ鹿狩りに出かけた。夕暮れが近づき、周囲が暗くなりつつあった。
義兄の後方を歩いていたデグラシアさんは、獲物がいないか辺りをうかがっていた。すると、生い茂った草むらがゴソゴソと揺れているのが見えたという。
「最初は村の猟師仲間だと思いました。左から右に動いた影を見ると、どうも村人ではない。目を凝らして見たら、ヒゲがのび放題でボロボロの服を着た日本人らしき男だったんです」(デグラシアさん)
グアム島南部では戦後になってからも、旧日本兵が発見されていた。魚を捕るウケを右肩に担ぎ、左手にもうひとつのウケを持って腰をかがめながら歩く日本人らしき男性。その人こそが横井さんだった。
デグラシアさんは、目の前に現れた横井さんを見ると、大きな声で叫んだ。
「日本兵だ!」
突然の出来事に顔を引きつらせた横井さんは、両手を合わせて命乞いをするようなしぐさをした。
横井さんは当時の状況を、手記『明日への道 全報告グアム島孤独の28年』(文藝春秋)にこう記している。
〈私は無我夢中で目前の現地人に飛びついて銃をひったくりに行きましたが、体力の相違か無念にも押し倒されてしまいました。「ニホンヘイカ」と日本語で尋ねられ、やがて、横にいた何人かが「ツイテコイ」と両側から私を立たせました。で、私は「もうどうでもせよ」という気持で、あとからしょんぼりしょんぼりとついて行きました〉
だが、デグラシアさんによれば、実際に見た状況と手記の内容は食い違っているという。
「横井さんは体力が衰えていたためでしょうか、ほとんど抵抗しなかった。あまり伝わっていない話ですが、実は私の義兄は横井さんを殴りつけたうえに、射殺しようとして銃の引き金を引こうとしたんです」
射殺直前--。手記にはこのような記述はいっさい見当たらない。いったい、どういうことなのか。
デグラシアさんの記憶をもとに、当時の状況を振り返ってみよう。