プロレス団体の旗揚げの話をすると、メガネスーパーがプロレス団体をやりたいっていう話があって、俺は新天地を求めて行ったわけだけど。担がれたんだよな。SWSという団体が旗揚げされたのが、俺が40~42歳のとき。メガネスーパーの社長・田中八郎氏から話がきたときは、俺は全日本プロレスみたいなものが、また全日本を辞めたヤツらと始められると思っていたのに、実際は全然それとは違っていた。
メガネスーパーの田中社長は、WWF(現・WWE)とかそういうカテゴリーのプロレスをやりたかったんだと思う。俺みたいな辛気臭いプロレスは大きな会場にたくさんのお客さんが入りにくい。立ち上げたのはいいものの、メガネスーパーの田中社長は「天龍がやっているプロレスはやっぱ違うや」って思ったかも知れないし、色んな選手がいすぎたせいで右往左往させられたんだよね。
その都度、俺はいろいろな人の意見を吸い上げてやるから、これは今でも誇りに思っているけど、日本の団体で唯一WWF(現・WWE)と業務提携をしたんだ。それで、せっかく、ニューヨークからホーガンとか、大スターが来ているのに、バッシングばかりで、プロレスファンはそっぽ向いているし、声を大にしても選手たちには響かないし、自分たちの保身ばかり。結局、SWSはが何をやっていいのかわからない。そんな状況の団体だった。
俺のやっていることに背中を向けるヤツらだらけで、もう、何をやっても裏目、裏目に出てたよね。うまくいかないから、俺は従来のプロレスっていうものを日に日に渇望するようになっていた。お客さんとリングの中が一体になっているものを見せたいという想いが募っていったんだ。SWSは待遇という面では不平不満はなかったし、評価もしてくれた。けど、2年2カ月という月日を経て「プロレスをやりたい!」という気持ちが溢れていった。それが、WARという団体設立に繋がっていったんだ。ただ、俺はどうしてもプロレス団体をやりたいという思いはなかった。
SWSをたたむ時、メガネスーパーの田中社長から「1億円を運営費として渡します。だからあなたあなたはプロレスを団体をやっていって下さい」って言ってきやがって、選手の面倒を見切れないで投げ出したのに、そいつから1億円あげますからやって下さいって。正直、頭にきたよな。『こんな金』と思って、選手から社員まで上から順番にきっちり給料として割り振って、俺と女房、関係者は除いて、端数の1107円になるまでキッチリ分けたよ。割り切ったらきちんと俺は一銭ももらっていないと選手たちには説明して、これからで頑張ってくれよって。カッコいい事をしたと自分では思っていたけど、周りからは「馬鹿だ」って言われたよ(笑)。その後もWARは13年続いたし、苦しかったけど、旗を掲げてるという事は良くも悪くもプロレス界を堪能することが出来た要因でもあるよね。