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42歳での電撃結婚。そして伝説の高齢出産から2年。母として、女優として、ますますパワーアップした水野美紀さんの連載「子育て女優の繁忙記『続・余力ゼロで生きてます』」。今回は、新型コロナウイルスによる肺炎でお亡くなりになった志村けんさんとの思い出をつづります。
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書きたかった楽しいことがいくつかあったのに、全く書き出せない。
志村けんさんがお亡くなりになった。
子供の頃からテレビの中の志村さんを、それはもう夢中で観てきた。
毎週毎週、土曜8時が待ち遠しくて仕方なかった。
時間になるとワクワクしてテレビの前に正座した。
弟と一緒にゲラゲラ笑いながら、志村さんのマネをした。
高校生になり、この仕事を始め、志村さんの番組に出演できる機会を得た。
マネージャーに連れられて志村さんの楽屋にご挨拶に訪れ、楽屋のドアが開いて志村さんの姿を見た途端に、時が止まって、私は、ご挨拶することもできずにフリーズしてしまった。
子供の頃から夢中で見ていたあの人が目の前にいる。
いつもテレビの中の遠い世界にいたあの人が、突然、目の前に現れ、こちらを見ている。
感動と非現実感で脳がパニックを起こした。
マネージャーにパシッと叩かれて我にかえり、慌てて「よろしくお願いいたします!」と挨拶をした。
志村さんは笑顔を向けて下さった。
楽屋を後にしてもしばらく心臓がばくばくして高揚していた。
あの日のことは今でもはっきり覚えている。
お亡くなりになったと聞いてこんなにショックを受けるのは、それだけ影響を受けたからに違いない。
この世界に入って、「笑い」を産むことの緻密さ難しさを知るほどに、尊敬が募ったからに違いない。
こんな形で突然お別れすることになってしまうなんて。
「浦安鉄筋家族」というギャグドラマを日々必死に撮影している間に、コロナウイルスの感染状況は世界的に悪化の一途を辿っている。
東京ロックダウンの可能性も現実味をおびてきた。