開幕まで2カ月を切ったロンドン五輪。オリンピックおじさんこと山田直稔さんは1964年の東京五輪以来、12大会すべての応援に駆けつけた。もちろん今年も訪英の予定だ。

 柔道の山下泰裕さんが悲願の金メダルを獲得した1984年のロサンゼルス五輪を振り返る。

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 日本のモスクワ五輪ボイコットが決まった時、山下さんは泣き、大きな体を震わせて抗議した。1977年10月から無敗を誇っていたのに、五輪の金メダルだけは縁がなかったからね。

 忘れもしない、84年8月11日。無差別級の山下さんは1回戦を27秒で一本勝ちしたけど、次の2回戦で軸足の右ふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。あの辛抱強い人が、足を引きずって控室に戻ったからね。柔道の神様はどれだけ山下さんに試練を課すのか、と思ったよ。

 決勝の相手は、あのラシュワンさん(エジプト)。日本代表の佐藤宣践(のぶゆき)コーチが、珍しく山下さんに声をかけたんだ。

「寝技でいけ、寝技だ」

 って。その助言通り、山下さんは横四方固めでラシュワンさんをとらえた。見事な一本勝ちだった。

 後日談があってね。五輪後の10月に山下さんは国民栄誉賞を受けました。その授賞式典で彼が私にこう言ったんです。

「決勝戦の最中に、山田さんの振る日の丸が目に入ったんです。勇気づけられました。死んでもいい、とさえ思えた。だから勝てたんです。山田さんの応援がなかったから、国民栄誉賞もなかったんですよ」

 心から感激したね。

※週刊朝日 2012年6月15日号