元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【写真】稲垣さんがある農家さんからもらった素敵なカーネーション
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緊急事態宣言が明日にも出るという日、いま当たり前な日常がこれからは当たり前じゃなくなるんだと思ったら、急にやたらセンチな気持ちになっていつもの近所を歩く。
思いがけず、いろんな人と話をした。「三密」を避けてソーシャルディスタンスを意識しつつ、店の軒先とか、公園とか、よく行く喫茶店(窓全開)とかで、店の人や、常連のお客さんや、顔なじみのご近所さんたちと話す。なにしろ妙に目が合うのである。そして挨拶だけのつもりが、話し始めたら長くなる。
大変だねー。ホント弱っちゃうよね。まあなるようになるよ。いつもありがとね。悪い方に考えたってしょうがないっしょ。あら久しぶり。元気だった?──どれもこれもたいした話じゃないんだが、じゃあまたネとお互い別れがたい感じ。そしてお互い照れつつ、ほんのり優しい言葉をかけ合う私たち。
オマケやらモノやらもやたら頂いた。銭湯友達のおばあさまからは筍ご飯取りにおいでと言われ、喫茶店では常連さんが皆に煎餅を配り、豆腐屋では形が悪いからと油揚げ1枚サービス、八百屋は黙って袋にハーブ1束突っ込んでくれた。どれもこれも言葉には出さずとも、お互い頑張ろうというエールだったんじゃないかと思う。
何やら映画で見た「地球最後の日」のようであった。
本当にこのたびのこと、あんまりすぎる事態である。何も悪いことはしていないのに生きるか死ぬかの場所に追い込まれた人がたくさんいて、そのことに揺れ、苛立ち、もがき、発信もしてきた。それでも状況は見通せない。終息する日が来るのかもわからないし、もし来たとしても、そのとき世界は今とは同じ姿ではいられないだろう。
でも考えてみれば、それはいつだってそうなのだ。今日と同じ明日はない。だから本当はいつだって我々は「地球最後の日」を生きているんである。で、そのことを自覚した日には人は人に優しくなるのである。ならば何を恐れることがあるだろう。そんなことを一人思った春の夕。
※AERA 2020年4月20日号