人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「大林(宣彦)監督が咲かせた花」。
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この空の花」という映画を見終わったところである。
長岡花火物語という副題のついたDVDは、先日亡くなった映画監督の大林宣彦さんからいただいたものである。
「世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる」。3・11の後に作られ、大林監督の思いがぎっしりつまった長い長い物語だ。
DVDは大林監督と対談した後に手渡された。大林さんは八十二才、私は八十三才。同じ時代を生きたものとして、戦争を知り、今を生きるために何をすべきかといった話をした。たしか舞台のパンフレットか雑誌に掲載する対談だった。
NHK時代の友人から頼まれての仕事だったが、それ以前にもちろん映画も見ていたし、毎夏に行われる民放連での番組審査でご一緒したこともある。対談のときはすでに体調を崩されていたが、ふだん静かなのに熱っぽく語られた。
「この空の花」は、八月一日の長岡の大空襲と長岡の花火を重ね合わせた映画であり、それは長岡に模擬原爆が落とされる話から長崎と重なり、さらに3・11=福島の原発へとつながっていく。
どうやって太平洋戦争を若い世代に伝えていったらいいか。大林さんの晩年の作品は全てそのことに費やされているといっていい。
その姿勢は年とともに加速度がつき、生きることの全てを捧げる祈りのようなものになっていった。
長岡の花火は、日本一の三尺玉が上がることでも有名である。八月二日と三日、3・11の年も、中越地震や豪雨災害の後も上げ続けられた。
それは単に観光用ではなく、大空襲をはじめ大災害で亡くなった人の鎮魂と平和への祈りを込めた、特別な意味を持つ花火なのである。
私もかつてこの花火のテレビ中継のゲストとして出演したことがある。大島渚監督と私の二人。長岡市内の料理屋で浴衣に着がえ、テレビ用の特等席で三尺玉を見ることができた。放送の前に、私たちは花火師に会い、花火がいかに情熱を込め技術の限りをつくして作られるか、そして危険を賭して打ち上げられるかを知った。