■路線愛称の先駆けは大阪の地下鉄
正式な路線名に愛称を付ける路線愛称の先駆けは、大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)だ。1933年の開業時から1号線、2号線と案内していたが、1970年に千里丘陵で万国博覧会開催が決まり、路線愛称とラインカラーを導入することになったのである。
1969年12月6日に1号線は御堂筋線、2号線は谷町線……などと発表された。大阪の主要道路は南北方向を「筋」、東西方向を「通」と称するのが慣例で、それに準じたのである。
■JRグループも路線愛称に乗り出す
1987年4月1日の国鉄分割民営化後、JRグループは地域密着を掲げ、あらゆる施策に出る。そのひとつが路線愛称だ。
特にJR西日本は、1988年3月13日のダイヤ改正で、関西の主要都市を結ぶ複数の路線で路線愛称を導入することになり、6線区7区間で愛称名の使用が開始された。当時は下記の通りである。
東海道本線/京都~米原間→琵琶湖線
東海道本線/京都~大阪間→JR京都線
東海道・山陽本線/大阪~姫路間→JR神戸線
山陰本線/京都~園部間→嵯峨野線
東海道本線・福知山線/大阪~篠山口間→JR宝塚線
関西本線/加茂~湊町(現・JR難波)間→大和路線
片町線/木津~片町間→学研都市線
しかし、JR京都線、JR神戸線、JR宝塚線が物議を醸す。並行する阪急電鉄に同名の路線があり、“パクリ”であることも大きかったようだ。
JR神戸線は当初の予定通り、東海道・山陽本線の大阪~姫路間でまとまった。そして、JR京都線は東海道本線の米原~大阪間を計画していたが、京都~大阪間に短縮のうえ、米原~京都間を琵琶湖線に変更(ただし、車窓から琵琶湖が望めない)した。琵琶湖線は、のちに北陸本線米原~長浜間に拡大された。
JR宝塚線は当初、東海道本線と福知山線の大阪~新三田間に設定する予定だったが、大阪~篠山口間に“延伸”された。その後、片町線はJR東西線の開業に伴い、京橋~片町間が廃止された。