今はなかなか先が見えない状況で、まいっている人も多いと思う。俺は現役時代、手術で1年間試合に出られなかったことがある。そのとき「俺はサイボーグになって戻る!」と宣言したんだよね。「悪いところが全部治って永久にプロレスをやれる体になれるんじゃないか」と思っていたよ。すべて良くなるという前向きな姿勢で、後悔とか、過去を振り返ることは全然なかったな。思い返すと俺の人生はずっとそうで、プロレス修行でアメリカへ行ったときも、全然仕事がなくて飯が食えない日が続いてさ。それでも夜空を見上げて「誰がどこかで俺を見てくれているはずだ」って元気を出していたよ。自分でも乙女チックだと思うけどさ(笑)。苦しいとき「誰かがどこかで見てくれている」というのは俺の言霊で、みなさんに分け与えてあげたい言葉。みんな「俺なんて……」とか「どうせダメだ……」っていう言葉で片づけちゃいけないよ! 身近にいる人、あなたのことを気にしている人がいるから絶対に投げ出しちゃダメだよ。
「誰かがどこかで見てくれている」というのはレスラーにも伝えたいね。相撲でも今年の春場所を無観客でやったけど、相撲は観客がいてもいなくても勝ち負けで番付が上下して、来場所の自分の生活環境が一変するような世界。でも、プロレスはお客さんがいないと潤わないし、プロモーターや勧進元がつきにくいから無観客で行うのは難しいと思う。無観客でも大きな技を決めたときには頭の中に大勢の観客が沸いているシーンを思い浮かべながらうぬぼれるのがレスラー。でも、半信半疑な部分もあって、こんな状況だから見ている人はいないだろうなっていう自虐的な面もあるんだよね。それが、誰も見ていないと思っていた試合で、ファンから「見ました!」「楽しかった!」というようなメッセージが本人に伝わると感動しますよ。そこになにかしらの“心づけ”があったらなおいいよね!
ライブ配信なんかでも「誰かがどこかで見てくれている」ということだ。レスラーもそういう思いを持って、試合に対しても自分の行動に対しても、責任を持っていつもカッコつけていてほしいね。「男だったら、いつでも真っ赤な靴下をはいてカッコつけて歩いてみろよ!」とね(笑)。
※1987年10月4日に巌流島で行われたアントニオ猪木V.S.マサ斎藤の時間無制限、ノーレフェリー、ノールール、無観客の試合。2時間以上にわたって死闘が繰り広げられた。
(構成/高橋ダイスケ)